岡山市出身で、パリを拠点に活躍されていた洋画家・赤木曠児郎先生。
エッセイ「Bon souvenir ~パリで紡いだ思い出」を『オセラ』にご寄稿いただいておりましたが、去る2021年2月15日に、ご逝去なさいました。
このコーナーでは、赤木先生を偲び、本誌で掲載されたエッセイを1編ずつ紹介していきます。ご功績を振り返り、在りし日のお姿に思いをはせてみませんか。
※掲載文章は連載当時のものです
《第11回》西欧と日本
10回の連載で、一昨年亡くなった家内との記憶を書いた。新たに続けてほしいとの嬉しい依頼があり、何を中心に書こうかと迷っている。
生活習慣が違い、東と西では考え方も異なって、現実を見ただけでは分からないことが多い。たとえば昨年来の、フランス年金法改正に対する反対。交通機関のストライキが2カ月続いた。
将来の年金維持の財源がなくなるとの予想から、定年年齢を2歳延長し、国際的に一般的な均等・平等な条件に改正すると政府が提案したのに、フランス国鉄の運転手や地下鉄運転手などの労組総反対でストが起こったのだった。
機関車の運転手は石炭の釜焚きで走っていた時代に、大変な重労働だということで52歳で定年獲得、オペラ座のバレリーナは42歳で定年…という具合に、過去に労組が闘って勝ち取った特殊契約が職別に42件ある。
それらを見直し、すべての国民を平等にすると発案したのである。
今や電車は電気で動き、男女同権の女性でも運転している時代。改正しなければ、定年のない商店主や自由業の人などと釣り合わないし、不平等だ。
定年を延長すると言えば、日本なら大喜びしそうであるが、早く定年を獲得して、自由に過ごしたいフランスの人には大問題。コロナ騒動で一時中止されているが、まだ解決していない。
西欧の男性は女性に大変に優しく、思いやりがあるように映る。
クロークでコートを着る手助けをしてくれて、レディファーストで部屋の出入りも女性が先。こんな習慣に日本の女性は舞い上がってしまう。
しかしパーティや食事の席で、女性は飲み物のグラスや瓶に手を出してはいけない。テーブルの飲み物に気を配るのは主人の仕事で、席にいる男性も気を配るものとされている。
女性が瓶に手を触れると、どんなに着飾っていても「育ち」を見られてしまう。サービス女のレッテルを貼られ、主人や周りの男性は気が利かないと見せつけていることになる。
逆に日本のパーティでは、女性が同席していてサービスしないと、気が利かない人だと思われる。
何げない日常なのだがパリでは要注意。西欧に来たら女性はテーブルの瓶に手を触れないものと覚えておいた方がよい。
それから今でも多いのは、くしゃみ。
突然「ハクション!」と周りを吃驚させる人が結構いる。これが大変な無教養のシンボルなので、出そうになると無理やり口を押さえてでも抑え込もうとする。
女性がくしゃみでもしようものなら、部屋中の人が素知らぬ顔して正面向いて観察する。エスコートの男性はたまったものではなく、小さくなっている。
その代わり鼻をかむのは失礼にならない。会話の途中でも、ハンカチを出して正面を向いたまま、平気でチンと鼻をかむ人がいる。
日本では逆だろう。くしゃみは所かまわず仕方のないもの、いっぽう鼻をかむのは相手に失礼な行為になる。
そんな日常を、書いてみたいと思う。
『ルクールブの市場街』
(素描原画/39x48cm)2017年
パリには名の知られた市場通りや、食品商の集まるマーケットの建物、小型食品スーパー、夜遅くまで休日もなく開いているアラブ系商人の店、週2日午前中だけ日を決めて開かれる直産品の並ぶ移動市場など、住人の胃袋を満たす店が沢山ある。色鮮やかな果物が豊富で、世界中から種類多く集まっているのには驚くことが多い。コロナウイルス防疫で2カ月間、フランスの全商店、事務所、カッフェ、レストラン、映画館、美術館までいっせいにストップ。自宅にとどまって禁足隔離の日々を過ごしたが、食料品の買い物だけは例外で、近所の八百屋や食品店で自由にできた。品物も十分豊富で、軍人が取り込んで横暴な配給制度だった戦時中とは大違い。戦争はご免だと思う日々だった。
赤木 曠児郎(あかぎこうじろう)
洋画家。1934年、岡山市下田町(現・岡山市北区田町)生まれ。
第2次大戦後、岡山市東区西大寺で暮らす。岡山大学理学部物理学科を卒業して東京へ。
その後フランスに渡り、現在はパリ在住。ボザール(パリ国立高等美術学校)で絵を学び、油彩、水彩、リトグラフによるパリの風景を描き続ける。輪郭線を朱色で彩った独特の画法が特徴で、「アカギの赤い絵」として名高い。
40年以上描き続けたパリの街は、芸術作品としてはもちろん、貴重な歴史的資料としても評価されている。
ル・サロン展油絵金賞を受賞し、終身無鑑査。そのほか、フランス大統領賞、フランス学士院絵画賞なども受賞。
またファッション記者としても活躍し、プレタポルテを日本に初めて紹介。ジバンシイやバレンシャガなどの多数のブランドが初めて日本の百貨店に出店する際にも橋渡し役として活躍したことでも知られる。
2021年2月永眠。
オセラNo.106(2020年6月25日発売)掲載より
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