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Bon souvenir ~パリで紡いだ思い出

《第8回》洋服職人への道のり

文/赤木曠児郎

  • 情報掲載日:2021.06.25
  • ※最新の情報とは異なる場合があります。ご了承ください。

岡山市出身で、パリを拠点に活躍されていた洋画家・赤木曠児郎先生。

エッセイ「Bon souvenir ~パリで紡いだ思い出」を『オセラ』にご寄稿いただいておりましたが、去る2021年2月15日に、ご逝去なさいました。

このコーナーでは、赤木先生を偲び、本誌で掲載されたエッセイを1編ずつ紹介していきます。ご功績を振り返り、在りし日のお姿に思いをはせてみませんか。

※掲載文章は連載当時のものです

《第8回》洋服職人への道のり

オートクチュール組合立洋裁学校というと聞こえはいいが、お針子さん確保のための教養学校。

小学校を出て見習いで働き始める娘さんたちに、初級職人認定の資格を与えるため、業界が集まって作っていた学校だった。上級科というのがあって、下地のできている外国人はこの科に受け入れていた。

イブ・サンローランとカール・ラガーフェルドがこの科の卒業生だから、評判は世界に広まっていたのだろう。東京の文化服装学院の小池千枝さんもこの科で勉強して、後にたくさんの日本のファッション人材を育てた。

学年度は9月に始まり6月に終わる1年間である。もっと続けたい人は毎週土曜日だけの高等科2カ年課程に進む。

週5日は、紹介してもらったオートクチュールのアトリエでお針子さんとして働いて経験を積み、土曜日は学校で学ぶのだ。これが終わると高等職業免状がもらえる。

現在は移民希望が多いので、学業を終えるとすぐ帰国させられ、滞在ビザももらえないが、50年前はそうだったのである。

数人の卒業生と家内はジバンシー社のアトリエに入れることになり、裁縫職人の職業カードと滞在許可証がもらえた。

わたくしはまだ美術学校の学生で、2人とも毎年警視庁に出頭して、長い行列の後、書き換えの更新が必要だった。

パリ・オートクチュール(高級裁縫店)のアトリエというのは、工場のようなものである。

当時ディオール社は2500人の従業員を抱えていた。家内が入った頃のジバンシー社でも280人だった。注文を聞いて5〜6人のお針子さんで作る町の洋裁店とは、規模が全然違っていた。

そんな高等洋裁店が最盛期にはパリに80軒くらいもあったのである。

各店ファッションモデルを常雇いで抱え、毎日午後3時からファッションショーを開いて見せ、オーダー服の注文を取る。見るだけで注文しなかった人は2度と招かれない。

今は既製服の時代になってすっかり変わり、ファッションウィークなど各店1回限りの発表会であるが、当時は毎日だったのである。

家内を受け入れてくれたのはジバンシー社のコレットという主任の「フルー」のアトリエだった。

日本にはシステムが伝わっていなくて知られてなかったが、同じ洋服のお仕立てアトリエにも2種類あって、「タイユール」のアトリエはウールのコートやスーツが専門、「フルー」のアトリエはドレス専門で、絹物やイブニングドレスを縫製していた。

両者の技術は完全に違っている。アンサンブルと呼ばれる洋服のセットがあるが、一着の洋服のドレスの方は「フルー」、上着の方は「タイユール」と別々のアトリエで仕上げ、お客の体の上で合わせるのだから最初はびっくりした。

家内はまず見習い、下級職人見習い、下級職人、一級職人見習い、それから一級職人になって一人前だ。それぞれ6カ月間の経験を積むので、一人前になるにはどうしても2年はかかる。

一人前になれば、業界を洋服職人としてわたっていけるのだった。

『アルマ橋』
(油彩/95x95cm)2019年

7区と8区をつなぐセーヌ河にかかる橋であるが、この橋のたもとが有名なセーヌ河の観光船発着場だから、観光客にお馴染みの場所である。橋をはさんで右岸側にはイブ・サンロ-ラン、ジバンシー、ディオールなどのオートクチュール本店や、小澤征爾なども演奏するシャンゼリーゼ劇場が集まっている、パリの黄金三角地帯の南端。絵になっている左岸側には超高級住宅や、ケ・ブランリ・ジャック・シラク美術館などあるが、2016年、気象庁の建物跡に、ギリシャ正教の聖トリニティ大聖堂が建てられた。丸い玉ねぎのような金色のドームの屋根ですっかり様変わりした。家内も働いていたジバンシー社に通う日々、毎日見ていた懐かしい場所である。

赤木 曠児郎(あかぎこうじろう)

洋画家。1934年、岡山市下田町(現・岡山市北区田町)生まれ。

第2次大戦後、岡山市東区西大寺で暮らす。岡山大学理学部物理学科を卒業して東京へ。

その後フランスに渡り、現在はパリ在住。ボザール(パリ国立高等美術学校)で絵を学び、油彩、水彩、リトグラフによるパリの風景を描き続ける。輪郭線を朱色で彩った独特の画法が特徴で、「アカギの赤い絵」として名高い。

40年以上描き続けたパリの街は、芸術作品としてはもちろん、貴重な歴史的資料としても評価されている。

ル・サロン展油絵金賞を受賞し、終身無鑑査。そのほか、フランス大統領賞、フランス学士院絵画賞なども受賞。

またファッション記者としても活躍し、プレタポルテを日本に初めて紹介。ジバンシイやバレンシャガなどの多数のブランドが初めて日本の百貨店に出店する際にも橋渡し役として活躍したことでも知られる。

2021年2月永眠。

オセラNo.103(2019年12月25日発売)掲載より

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