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Bon souvenir ~パリで紡いだ思い出

《第10回》蟻

文/赤木曠児郎

  • 情報掲載日:2021.07.09
  • ※最新の情報とは異なる場合があります。ご了承ください。

岡山市出身で、パリを拠点に活躍されていた洋画家・赤木曠児郎先生。

エッセイ「Bon souvenir ~パリで紡いだ思い出」を『オセラ』にご寄稿いただいておりましたが、去る2021年2月15日に、ご逝去なさいました。

このコーナーでは、赤木先生を偲び、本誌で掲載されたエッセイを1編ずつ紹介していきます。ご功績を振り返り、在りし日のお姿に思いをはせてみませんか。

※掲載文章は連載当時のものです

《第10回》蟻

無一物で一緒になって「お前の物は俺の物、俺の物はお前の物」の夫婦で60年だったから、財布も家計も渡して、家内が大蔵大臣で暮らしてきた。

「家計はすべて自分の手で握っていないと」と思っているのがフランスの男性だし、玉の輿など全然なくて、自分の持参金で独立しているのがフランスの女性。

古いタイプの日本流カップルで、安心して任せていられたのだから、幸せなことだったと思っている。

家内は亡くなる前まで自分で動き、他人に手間はかけまいと決心していたようだった。

膝の関節が痛み始めた折りに、親しい知人に評判のよいお医者さんを紹介された。その知人も注射一本で痛みが治ったという話だったので、期待して日本まででかけた。

親切に検査していただいたが、結局は「昔はあなたの歳まで生きる人は少なかったのですよ。この歳まで使ったのですから…」とのこと。

そのお医者さんの言葉に悟ったようで、それ以来ゆっくりではあったが、杖も突かず、痛いとも言わず自分で歩き始めた。台所仕事もやっていた。

亡くなる前日であった。家内が朝起きてベッドを出て、いつもの椅子に座った。

リノリウムの床を素足で5歩ばかり歩いて、椅子まで来たのだが、気が付いたら真っ黒な足跡が続いている。

足が汚れていたのか、何ごとかと近付いてみたら、磁石に鉄粉が付くように、蟻がビッシリ密集していた。5つばかりの足跡から掃き寄せた蟻は、塵取りいっぱいになるほどの膨大な量である。

この2、3年「ベッドに蟻が来る」と家内が言い始め、テラスの植木に巣を作った蟻が、室内に侵入していることには気が付いていたので殺虫剤などを撒いていたが、隣に寝ている私には全然来ないのである。

衰えゆく人体から出る体液の油が蟻の大変な栄養物で、あっと言う間にどこからか集まって来たとしか言いようがない。「わーっ」と驚き、一五階のテラスから空中に蟻をはたき出した。

亡くなる日の明け方、寝ている家内の顔が、静かに寝ているのだけれど普通でない。カメラを構えて写真を撮ろうとした。

すると、どこから来るのか、ファインダーの真ん中に若緑色の太い線が、キラキラと光って斜めに一本走る。

シャッターを押し、もう一度押そうとしたが作動しない。ストップして動かなくなってしまった。

朝になって電池を入れ直したら、また動き出した。あの緑色の線は何だったのだろうと調べてみたが、何も映っていない。

魂の精が体から抜けて天に昇って行くのを見ていたのではなかったろうか、記録されるのを嫌がる家内の気持ちがカメラを止めたのではなかったろうか、と不思議に思っている。

朝起きてベッドを出てきた家内は、ヒョロヒョロと立てないので、椅子に座らせる。喋れなくなり、目だけぱちくりさせながらそのままあの世に旅立って行った。あんなに見かけた蟻も、家の中から消えて行った。

92歳と6か月だった。

『自由の女神像とラジオフランス(Ⅱ)』
(油彩/100x81cm)2017年

セーヌ河の下流、パリ港に入る中の島の先端入口に、「自由の女神像」が立っている。ちょうど第二次大戦後に建てられたフランスの名建築『ラジオ・フランス』の、円形の建物の向かいの辺りである。バルトルディ(1834-1904)というフランス人彫刻家が、1870年代、当時世界最大の彫刻に挑戦したもの。小さい形から段々と大きいものを作り、最終的に約46m(像の実寸約33m)の高さで、内部鉄骨構造はエッフェル会社で制作したものが、NYの港にある有名な自由の女神像である。パリにあるのはその途中の試作品石こう型から作られ、逆にパリ在住のアメリカ人たちから贈られたもので約12mある。このパリの像のレプリカは東京・お台場海浜公園にも、1998~1999年の「日本におけるフランス年」のシンボルとして立っている。

赤木 曠児郎(あかぎこうじろう)

洋画家。1934年、岡山市下田町(現・岡山市北区田町)生まれ。

第2次大戦後、岡山市東区西大寺で暮らす。岡山大学理学部物理学科を卒業して東京へ。

その後フランスに渡り、現在はパリ在住。ボザール(パリ国立高等美術学校)で絵を学び、油彩、水彩、リトグラフによるパリの風景を描き続ける。輪郭線を朱色で彩った独特の画法が特徴で、「アカギの赤い絵」として名高い。

40年以上描き続けたパリの街は、芸術作品としてはもちろん、貴重な歴史的資料としても評価されている。

ル・サロン展油絵金賞を受賞し、終身無鑑査。そのほか、フランス大統領賞、フランス学士院絵画賞なども受賞。

またファッション記者としても活躍し、プレタポルテを日本に初めて紹介。ジバンシイやバレンシャガなどの多数のブランドが初めて日本の百貨店に出店する際にも橋渡し役として活躍したことでも知られる。

2021年2月永眠。

オセラNo.105(2020年4月25日発売)掲載より

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