《山根美千義×カヌー・ワイルドウォーター》ワイルドウォーター界の頂点に君臨する、建部生まれのトップスター。
旭川の水流に恵まれた建部町で生まれ育った山根選手。カヌーや恩師との出会いを経て見事才能を開花させ、数々の賞を獲得するなど華々しい成績を残す。そんな彼の、ワイルドウォーター界を牽引する存在に至るまでの軌跡を追う。
恩師の背中を追い抜き、日本の頂に立つ王者が国体三連覇に挑む。
2016年の「リオデジャネイロオリンピック」で日本史上初となるメダルを手にしたこともあり、認知度が飛躍的に高まったカヌー競技。とりわけワイルドウォーターという種目において、他の追随を許さないほどの強さを誇る選手が、ここ岡山にいることをご存じだろうか。それが、今回の主役・山根美千義選手だ。
山根選手がカヌー競技を始めたのは中学生時代。友人に誘われてカヌー部に入部したことがきっかけだ。恩師・依田コーチとの出会いもあり、そこで着々と実力を磨いていった。そんな折、ひとつの転機が訪れる。それがワイルドウォーター種目への転向だ。高校を卒業するまではカヌー競技のひとつ、スプリントに打ちこんでいたが、就職後は仕事が忙しく、思うような練習ができなくなっていたという。「何より勝てなくなってきていることへの焦りがありました。そんな時に、依田コーチ自身が日本一にまで上りつめたワイルドウォーターに、僕も挑戦するのもいいのかもしれない」と思い、転向を決意したのだという。
ワイルドウォーターは、激流を舞台に岩などの障害物を避け、どれだけ速く下れるかを競う競技だ。これまで身を置いていた、流れのない川でタイムを競うスプリントとのフィールドの違いに戸惑いもあったが、競技転向1カ月後に挑んだ国体の県予選を、なんといきなり突破。あれよあれよという間に県代表にまでこぎつけられたのは、ひとえに彼の努力と才能によるものだろう。そして、2014年、山根選手が27歳のときに行われた「第69回国民体育大会」では念願の優勝を果たした。その後は、2016年の「日本カヌーワイルドウォーター選手権大会」を制し、日本ランキング1位に躍り出る。さらに2017年の同大会や「第73回国民体育大会」といった数々の大会で優勝を飾るなど、その活躍はとどまるところを知らない。
今でこそ華々しい活躍をみせる山根選手だが、トップレベルになる以前、20代前半頃には仕事が忙しく、十分な練習ができなかったためカヌーを辞めようと思ったことがあったという。ワイルドウォーターはパドルを漕ぐ腕力、艇の中で踏ん張る脚力、艇のバランスを保つための柔軟な体重移動や体幹の強さなどが必要とされる、全身を使うハードな競技だ。激流の中で障害物をいかに素早くかわしていくかというテクニックも重要で、水流が艇に当たる位置を計算して抵抗をいなしつつ駆け抜ける技術を磨くには、練習を重ねて経験を積むほかない。しかし、日々の練習量がままならないとあっては、タイムが思うように伸びないのも無理はない。それでも続けてこられたのは、ひとえに「カヌーが楽しいから」だという。うまく障害物を避けたとき、タイムがよかったとき、優勝したとき。そのどれもに楽しさを感じるからこそ、これまで競技を続けられてきたのだ。
また、20代半ばで初出場した世界選手権も大きな糧となった。「穏やかな川が多い日本と比べ、海外の川の水流の速さに驚きました。それと、外国人選手にはリーチがあるから、小柄な日本人と比べてひとかきで進む距離が長いんです。それが積み重なると圧倒的な差が生まれちゃって」。テクニックを駆使して挑むも世界の壁は厚く、悔しさが残る結果に。それでも世界との差や自分のレベルを知り、いい刺激になったと語る表情は晴れやかだった。
目下の課題は持久力を養い、何が起きても無意識に対処できるようになることだ。「速さの追求ももちろん大切ですが、高スピード=いい結果というわけでもないんです。スピードを出しすぎれば障害物との距離を誤り、衝突する危険もありますからね。実は、それで岩に衝突したことも何回かあって。あれは本当にトラウマですよ」と苦笑い。
そんな山根選手の今後の目標を尋ねたところ、「国体で3連覇することです。仕事と練習を両立させるのに厳しい部分もありますが、短時間でもしっかり集中して練習するよう心がけています」という力強い答えが。そして、後進の育成にも力を入れているそうだ。「依田コーチと僕、師弟で日本一になっているので、これに続いてくれる人が現れることを期待しています」と、次世代を担う後輩にエールを送りながらにこやかに語ってくれた。建部町から3人目となる日本チャンピオンが輩出される、その偉業が成し遂げられる日は、そう遠くはないのかもしれない。
(タウン情報おかやま2019年5月号掲載より)