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岡山魅力再発見!!

《岡山の海 ~牛窓編~》岡山の海シリーズ第2弾! 近年、おしゃれカフェも続々オープンしているエリア、瀬戸内市牛窓をご紹介します。

  • 情報掲載日:2020.11.19
  • ※最新の情報とは異なる場合があります。ご了承ください。

あたりまえにある身近なあんなものやこんなものに、実はこんな歴史や理由があるのです…。
そんな身近にある何? なぜ?を調べます。

岡山の海 ~牛窓編~

9月号で取りあげた鷲羽山・下津井の海に続き、岡山の海シリーズ第2弾! 近年、おしゃれカフェも続々オープンしているエリア、瀬戸内市牛窓をご紹介します。歴史を感じる建物やスポットが残っているので、これを読んで町歩きも楽しんでみて。

朝鮮通信使も立ち寄るほど、寄港地として栄えた牛窓。

実は古墳もある町・牛窓。

牛窓と聞けば「日本のエーゲ海」と呼ばれ、目の前に広がる海を眺めながら食事が楽しめるグルメスポットや古民家カフェがあり、気分転換にドライブにでかけたいエリアというイメージの方も多いのではないでしょうか。そんなおしゃれドライブスポットとして人気の牛窓には、海にまつわる歴史が多く残されているんですよ。今回はその歴史をひも解きたいと思います。

牛窓の代表的な観光スポット『牛窓オリーブ園』には、石室の石組みが見える古墳も

瀬戸内市観光協会の方に話を聞いてみると、意外だったのが牛窓には古墳が多く残されているということ!以前誌面でもご紹介した操山や鷲羽山など高台や見晴らしのよい場所に古墳があることが多かったのですが、牛窓にもありました。「しおまち唐琴通り」の山側には山がまるごと古墳になっている天神山古墳や、『牛窓オリーブ園』の敷地内にも古墳を見ることができるんです。どちらも古墳のある場所から美しい牛窓の海が見える絶景スポット。古墳が目的でなくても訪れる価値ありです。昔の偉い人は、いい場所にお墓を作りますね~。

朝鮮通信使が寄港した江戸時代は…。

天神社のある山一帯が「天神山古墳」だとか。海景色が見える穴場スポットとして登る価値ありです

目の前に広がる海は潮の流れが速いところもあり、潮待ち、風待ちの港として栄えた牛窓。また江戸時代には岡山藩から「在町」に指定され、周辺地域の商業の中心になっていきました(そのほかに「在町」に指定された場所は13あったといわれています)。岡山藩内に船でやってくる幕府の役人や大名の寄港地として接待もできるように港町も整備されました。さらに岡山城下から牛窓までを結ぶ「牛窓往来」という陸の道も作られています。その商業地の中心は「しおまち唐琴通り」のある関町・西町・本町のあたり。この道は江戸時代の道幅のままという細い道路で、当時の名残が感じられます。

牛窓の町の歴史を語るうえで欠かせないのが、江戸時代の朝鮮通信使の寄港です。慶長12年(1607年)に初めて寄港し、計12回牛窓を訪れました。9月号で紹介した下津井も寄港地として栄えていたのになぜ牛窓に? それは岡山藩との関係や、偉い人を接待する地として整備されていたことも理由のひとつではないでしょうか。鞆の浦(広島県福山市)の次、室津(兵庫県たつの市)の前の寄港地として指定されていたのは、今も残る風光明媚な景色も理由のひとつといわれています。

町に朝鮮通信使っぽいところは…? と探しましたが、日常の場所に残されてはいません。しっかり知りたい!という方は、明治20年に警察署として建てられた館を活用した『牛窓海遊文化館』で朝鮮通信使の歴史、また服飾や道具についてなどを見ることができます。町歩きのひとつとしてゆかりの地を巡りたいなら、朝鮮通信使の正使(一番偉い人)が宿泊したといわれてる『本蓮寺』へ。泊まっていたのは、山門の真正面にある客殿で、今の建物は当時のものではないそうですが、事前予約すると客殿内の書院を見学することができます。建物内には朝鮮通信使が遺した書軸の複製や、岡山藩主・池田治政直筆の山号の書などが展示されています。また、境内からも海を眺めることができます。少し海は遠いですが、当時の人もここから眺めていたかもと思うと感慨深い…。7回目の訪問からは『本蓮寺』より500mほど東にある『御茶屋』(現在は『御茶屋跡』という名でギャラリーとして活用中)に滞在したといわれ、ここはより海に近い場所にあるので海景色をより楽しめたことでしょう。そんなことを考えながら町歩きをすると、違う風景に見えるかもしれません。

『本蓮寺』の書院を訪ねるなら、必ず予約を。本堂や三重塔なども見どころ

当時の面影を訪ねる。

さらに当時の遺構が残るスポットをいくつがご紹介。まず、観光案内所のある『瀬戸内きらり館』の近くのバス発着所の前の海沿いの駐車場あたりに、大名や朝鮮通信使の人など身分の高い人が船から上陸する船着き場「下行場大雁木」があったそうです。ここは庶民は利用できなかった場所。今では釣り人が糸を垂らしながらのんびりしているのどかな風景が広がっており、隔世の感がありますね。

また意外にも牛窓は井戸が多く、寄港した朝鮮通信使の人々は水を補給したともいわれています。「しおまち唐琴通り」の路地を入った場所に、『御茶屋』での接待時に水をくんでいた「御茶屋井戸」をはじめ、いくつか井戸が残っています。「しおまち唐琴通り」を歩くときは、ぜひ井戸も探してみてください。

看板の先にこんな立派な井戸を発見!

境内からの景色がよいと評判の、高台にある『五香宮』も穴場です。眼下には、牛窓の海とともに17世紀後半に建てられたという、海の安全を見守った燈籠堂も観ることができます。いろいろ牛窓の歴史に関係ある場所を訪ねれば、その多くが高台にある海が見える場所にあり、いい景色に出合える。…牛窓の歴史に海景色あり、ですね。

『五香宮』から見る、燈籠堂越しの海景色も美しいです…

明治以降、そして現代まで。

周辺には当時を思わせる風格ある建物が点在。

「しおまち唐琴通り」には、通り沿いにある明治・大正・昭和の頃の商店を思わせる建物が残っています。関町あたりは商店が多く、人通りも多く盛りあがった通り。かつてはこのあたりに映画館や百貨店があったというから驚きです。それだけ人が集まり、盛りあがる場所だったんですね。

見どころのひとつが、朝鮮通信使の歴史を紹介する洋館『牛窓海遊文化館』。ここでは牛窓ならではのものを見ることができます。それは船形だんじり! 秋祭りに地元の人が引っ張りながら行脚するあれです。世の中ではおみこし型のだんじりが多いのですが、牛窓ではかなり本格的な和船の形をしただんじり。これは海沿いの町であるのはもちろんのこと、牛窓には船大工が多かったのも理由のひとつかもしれません。そのほか、通り沿いには元郵便局や古民家を活用したカフェも。町歩きとカフェでくつろぎの時間が過ごせそうですね。

牛窓が「日本のエーゲ海」と呼ばれてから。

近年で牛窓が盛りあがりを見せたのは80~90年代に別荘地やリゾート地として人気を博した頃。1982年にギリシャのミティリニ市と姉妹都市縁組みを結び、のちに牛窓を「日本のエーゲ海」というキャッチフレーズでPRするようになったこともきっかけのひとつでしょう。1990年には『ホテルリマーニ』が今の建物にリニューアルし(実は『ホテルリマーニ』ができたのは1955年で、創業65年にもなるんですって!)、白亜の建物になったのもこの頃。その後、関西からの観光客を中心に多くの人が牛窓を訪れ1994年にピークを迎えました。

最近の10年は、町に残る建物を活用したカフェやギャラリーができていて、おでかけするきっかけになるスポット、イベントも増えてきてます。そんなとき、この誌面を思い出して牛窓の歴史感じる町並みに目を向けていただけるとうれしいです!

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