Mission_45/全国に3社しかないマッチ会社のひとつ『中外燐寸社(マッチ)』を訪問。時代を超えて愛されるマッチ文化の魅力をリサーチせよ!
岡山で話題のスポットやイベント、知る人ぞ知るレアな情報など、誰もが気になる地元のモノ、ヒト、コトを『タウン情報おかやま』が徹底調査するこの企画。スタッフが実際に現地を訪れ、体験したとっておきの情報をリポートして、「岡山の魅力を再発見できる、よりディープでフレッシュな街ネタ」をお届けします!
ラベル一つひとつがアート作品。地味に楽しいマッチ収集
好きなモノを収集する人のことを「コレクター」といいますが、世の中のありとあらゆるジャンルのモノには、独自のこだわりを持つコレクターが存在しています。
車や楽器、文房具、スニーカー、時計、オモチャやお菓子のおまけなど、いろいろなものがコレクションの対象になります。自分にとって心をときめかせてくれるモノとの出合い、集めたコレクションを愛でる時間は、ほかの何にもかえられない幸福感がありますよね!
例えそれが、ほかの人には理解されないマニアックなモノだったとしても…。
以前、Mission40で「マンホール蓋」と「マンホールカード」を紹介しましたが、これもおもしろいコレクション趣味のひとつで、人気上昇中です。
かくいう私「まかせてちょ~査団」の団長Mも、「なんでそんなもの集めてんの?」とよく聞かれるモノをコレクションしています。
それは何を隠そう、マッチの箱。そう、火をつける道具としておなじみのやつです。
時代の変化に伴いマッチの需要は少なくなってきましたが、国産マッチは100年を超える長い歴史があり、明治・大正・昭和にかけて盛んに生産されてきました。1920年以降になると飲食店やホテル、企業などのノベルティとして幅広く活用されるようになり、いろんな業種のお店で当たり前にマッチが作られていたんです。
団長Mが集めているのは、こうした「広告用マッチ」と呼ばれる国産のマッチ箱が中心。マッチを置いているお店や古道具店で入手したり、人から譲り受けたりしながらコツコツと集めています。
レトロデザインの宝庫! マッチ箱コレクション
昔懐かしい、レトロなデザインが魅力のマッチ箱。この場をお借りして、私のマッチ箱コレクションの一部をご紹介します!
これは岡山県内の飲食店や銀行のマッチ。残念ながら現在は閉店してしまったお店もあります。
こちらは企業のノベルティ。「ロッテ」のチョコ型マッチは、ビックサイズの箱と真っ赤なラベルがインパクト大です。
左上は「キューピーマヨネーズ」、その隣はタバコの銘柄「キャメル」と「ピース」。マッチは着火具としてタバコ文化とも結びつきが強く、タバコの銘柄をデザインしたマッチも登場しました。時代を感じさせますね!
マッチ箱にはお店の名前や情報も載せられ、今のショップカードのような役割も果たしていました。中には「冷暖房アリ〼(マス)」や「公衆電話アリ〼(マス)」、「外国人ガ好ム店」など、当時ならではのキャッチコピーが載ったラベルや、ダンスホールや髪結い処といった今では廃れてしまった業種のラベルも残っています。
マッチ箱のデザインから、高度経済成長期の日本の文化や流行、街の様子を感じとることができるんです。
これはひとつのマッチ箱の表と裏。仏像が描かれた「喫茶 禅」の裏には、「麻雀荘 戦」の文字が。喫茶店の奥を入ると、秘密の扉を通じて雀荘につながっていたのかも…(妄想)。禅仏教と戦、この店の二面性を見事に表現した渋すぎるデザインが秀逸です。
ラベルを見ながら「どんなお店だったんだろう?」と想像が膨らむのもマッチの魅力なんですよね。
挙げればキリがありませんが、団長Mの家にはこうした広告マッチが300個ほどあります。
時代の空気を詰め込んだデザインは見ていて飽きず、集めるほどに面白いデザインを発見できます。マッチ箱があれば白飯3杯はいけるほど大好き。興味ない方にとっては到底理解できないかもしれませんが…。
そんな広告マッチ、時代の変遷とともにだんだんとレアな存在になっているのも事実です。
国産マッチ自体は身近な着火道具として今も生産されていますが、マッチを製造する会社は全国で3社のみとなりました。実は、その中のひとつが岡山市にあるんです。
その会社は、明治23年に創業した老舗マッチメーカー『中外燐寸(マッチ)社』。
マッチ箱を集めながらも、マッチそのものについては意外と知らなかった団長M。大好きなマッチが作られている現場を訪ねて、その歴史と魅力をお聞きしてきました。
100年以上続く老舗マッチメーカー『中外燐寸社』とは?
岡山市浦安南町にある『中外燐寸社』の本社工場。1890年(明治23年)の創業以来、独自の高品質なマッチを製造しています。
今回お話を伺ったのは、五代目社長を務める田中礼一郎さん。商品マッチとともに、100年企業の歴史を物語る貴重なコレクションを見せてくださいました。
「マッチは1827年にイギリスで誕生し、明治時代に日本に入ってからは国内有数の産業として発展しました。ピーク時には全国で80社ほどのマッチメーカーがありましたが、現在は兵庫県に2社と、当社の計3社のみが残っています」と田中社長。
『中外燐寸社』は、創業者の田中鹿子吉氏が『田中燐寸製造所』として工場を設立し、1928年(昭和3年)に現在の会社組織になりました。日本のマッチ産業を支え続ける会社が岡山にあるなんて凄いですね!
箱の中にずらりと並ぶのは歴代のオリジナルマッチです。まず注目したいのは、左二列に並んだ古いラベル。大正から昭和初期にかけて作られたものだそうです。
写真のマッチ箱は木でできています。昭和初期までは「経木」と呼ばれる木製の外箱が使われていました。
このマッチ、「頭薬」と呼ばれる軸先の火薬が黒色です。機械化によりいろんな色の頭薬マッチが作られた時期もありましたが、現在は白か赤が主流になっているそうです。
『中外燐寸社』の初期は獅子、虎などの獣を描いた日本的なものや、人魚といった幻の生物をモチーフにしたオリエンタルなデザインがメイン。このコレクションひとつで、国産マッチの歴史が分かります。素晴らしい。
現在製造している定番商品もチェックしてみましょう。左はトレードマークになっている「たいこしし」。同社が所有するJR岡山駅前の駐車場『中外パーキング』にも描かれていました。
獅子が太鼓に乗る独特な絵柄は、創業者・鹿子吉氏の奥さんの夢に出てきた獅子のイメージを図案化したものだそう。一体どんな夢を見ていたんでしょうか? 右のスリーナインもインパクトがありますね。
こちらは、ヒマワリ、太鼓、桃太郎が描かれた大箱サイズマッチ。懐かしくて可愛い雰囲気ですね。
体と環境に優しい「脱硫マッチ」を開発。後世に残したいマッチ文化
実はラベル以上に中身がスゴい! と評判の「中外マッチ」。その秘密は、箱面に書かれた「脱硫」の文字にあります。
「脱硫」とは文字通り硫黄を含まないマッチのことで、昭和30年代までのマッチは発火のために硫黄が使われていました。しかし、硫黄の燃焼時にはぜんそく発作の引き金になる亜硫酸ガスが発生します。
先代の田中正彦氏は、母が喘息で苦しむ様子を目の当たりにしたことから、長年の歳月をかけて硫黄を使わないマッチの開発を始めました。特許も取得し、改良を重ねながら体に優しいマッチを完成させていったのだそうです。
「体に優しいのはもちろん、匂いが柔らかいのも特徴です」と田中礼一郎社長。
火を灯してみると、ツンと鼻をつくマッチ特有の匂いが少ないのを感じます。燃える時もじんわりと炎が広がり、どことなく上品さを感じる燃え方。人に優しいマッチですね。
「マッチは素材が木と紙なので、燃やせばゴミも残りにくいですし、エコの観点からいうと環境にも優しい製品といえます」
全国で脱硫マッチを作っているのは『中外燐寸社』のみ。ほかにはない品質を強みに、全国で愛用されるマッチを製造しています。
工場では、昭和40年代に導入された機械が現役で活躍中。軸木に頭薬を付け、乾燥させて箱詰めし、側面のやすり(横薬)を付けて点検・包装をすれば完成。工程ごとに手作業も交えながら、安心安全なマッチが次々と出来上がっていきます。
マッチは火薬なので危ないイメージがありますが、横薬で擦らないと火がつかない仕組みになっているので、安全性が高い着火道具です。オイルや電子ライターなどが使えない時にも使用でき、災害避難時の非常道具としても見直されつつあります。
田中社長は、「時代とともにマッチの需要や在り方も変わりましたが、お客様がいる限り品質のよいマッチを作り続けていきたいです。今後は岡山らしいマッチを売り出しながら、日本のマッチ文化を守っていきたい」と話します。
久しぶりにマッチで火を灯しましたが、優しい炎になんだか心が癒されました。擦る感触の心地よさもいいですね。短い時間で燃え尽きてしまうところも、何だか儚げで味わい深いです。たまにはマッチで火を起こしてみると、心もポッと温かい気分になれるかもしれませんね。
単に「昔の道具」で片づけてしまうのは惜しい、そんな普遍的な魅力を秘めたマッチ。見て集めて、使ってみて、その魅力を見直してみてはいがかでしょうか?
Information
Information
株式会社 中外燐寸社
- 住所
- 岡山市南区浦安南町550[MAP]
- 電話番号
- 086-263-2245
- HP
- http://www.chugai-match.co.jp/