岡山市出身で、パリを拠点に活躍されていた洋画家・赤木曠児郎先生。
エッセイ「Bon souvenir ~パリで紡いだ思い出」を『オセラ』にご寄稿いただいておりましたが、去る2021年2月15日に、ご逝去なさいました。
このコーナーでは、赤木先生を偲び、本誌で掲載されたエッセイを1編ずつ紹介していきます。ご功績を振り返り、在りし日のお姿に思いをはせてみませんか。
※掲載文章は連載当時のものです
《第13回》百貨店
パリに来て吃驚したのは、百貨店に対する感覚の違いであった。
日本では、百貨店は高級なところで、最高級のものがすべて揃えられているところだったが、フランスでは庶民が対象の中級品の店が「グラン・マガザン(大商店)」と呼ばれる百貨店なのだった。
外国とフランスでは存在が違うのですという説明を、50年暮らした今でもパリではまだ必要としている。
一番よい例は京都市だろうか。2度ばかり観光宣伝のための京都展を、美術館の所蔵品や物産を運んでパリ市内の有名百貨店で開いたことがあった。
招待されたVIPの人たちからは「百貨店に来たのは子どもの時以来で、何十年ぶりのことでしょう。なぜ日本はここで開くのですか」という声ばかり。
日本の常識から考えれば、百貨店は最高で最適の場所だったが、以後はほかの場所、宮殿などで開かれている。
中国が秦の始皇帝の兵馬俑坑の像を数体運んで、やはり百貨店で展示したことがある。外まで行列のできる人気だったが、「百貨店に真物を貸すはずがない」ということで、コピーだという説が出てきた。実際にもコピーで中国側は知っていたのであった。
パリの高級住宅地区では、百貨店の車などで配達されるのを見られたら、恥になるから嫌がられると、昔は聞かされたものである。前回書いた専門一流店でなくてはならなかったのである。
それでいて百貨店はパリが元祖である。
パリ七区のお屋敷街のある店で1852年に始められ、世界に類似が広がり、栄えたとされている。
昔はみんな帳面付けの買物が習慣だったから、いつ支払いがあるのか不安でリスクもあり、品の値段も駆け引きでさまざまだった。
そこで一定の利益率を決め、しかも低く抑えて現金正価取引を始めたら大成功。まねする店が増え、「グラン・マガザン」と呼ばれる職種が誕生したのであった。
百貨店を発明したとされるブシコー夫妻は、当時まだ珍しかった従業員への退職金制度や養老年金制度を個人で始めたり、遺産を寄付して病院を建てたりするなど、大繁盛で得た膨大な利益を自分のためだけでなく、社会還元に努めた。
後には国立病院になり、地下鉄の駅の名前にもなって常に人々の記憶に残っている。
キリスト教の精神なのだろうか、西欧の成功者は社会福祉還元を怠らない。
国家がするよりも早く、成功者がそれぞれ個人で年金、労働者住宅、病院を社会に寄付しているのが19世紀で、歴史や由来を調べると、パリではいろいろな場所で出合える。
夫妻の伝記を読むと、直接仕入れ、薄利多売、バーゲンセール、広告、通信販売といった現在の百貨店がやっていることは、19世紀に始めている。
大勢が沢山買い物をすることで、正当な価格で、裕福でない階層の人も含め万人が幸せを分かちあえる。そんな正義があったから栄えたのだろう。
利益追求や外商、沢山買い物をしてやるから人より安くしろなどと始めたところに、落とし穴があったのではと思うのである。
『エコールノルマル音楽院とサルコルトー』
(素描原画/47.5×38.5cm)2020年
パリ17区にある、アルフレッド・コルトーとオーギュスト・マンジョというピアニストによって1919年に設立された私立の音楽学校だが、高等音楽教育の受けられる一流校として認められている。私立なので年齢制限なく申し込めるのも特徴だが、外国からの留学生も多く、2005年頃に聞いたが、120名の教授陣で、1200名の生徒のうち230名が日本人とのことであった。現在は韓国、中国からももちろん多い。1927年からここの貴族屋敷に入り、元の厩舎を改造して隣に500席のコンサートホールが、1928年に出来上がっている。
赤木 曠児郎(あかぎこうじろう)
洋画家。1934年、岡山市下田町(現・岡山市北区田町)生まれ。
第2次大戦後、岡山市東区西大寺で暮らす。岡山大学理学部物理学科を卒業して東京へ。
その後フランスに渡り、現在はパリ在住。ボザール(パリ国立高等美術学校)で絵を学び、油彩、水彩、リトグラフによるパリの風景を描き続ける。輪郭線を朱色で彩った独特の画法が特徴で、「アカギの赤い絵」として名高い。
40年以上描き続けたパリの街は、芸術作品としてはもちろん、貴重な歴史的資料としても評価されている。
ル・サロン展油絵金賞を受賞し、終身無鑑査。そのほか、フランス大統領賞、フランス学士院絵画賞なども受賞。
またファッション記者としても活躍し、プレタポルテを日本に初めて紹介。ジバンシイやバレンシャガなどの多数のブランドが初めて日本の百貨店に出店する際にも橋渡し役として活躍したことでも知られる。
2021年2月永眠。
オセラNo.108(2020年10月25日発売)掲載より
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