《三宅紗蘭×陸上》力強く粘り強い走りで、次代マラソン界を担う。
最初は体力づくりのために始めたはずの陸上競技が、いつしか三宅選手にとってかけがえのない存在に。陸上歴1年目からめきめきと頭角を現し、輝かんばかりの未来へとひた走る、新進気鋭のランナーにインタビュー。
マラソン界の頂点を見据え、本格始動。目指すはトップ街道一直線。
スラッとした細身の体躯に、小動物のような愛らしい雰囲気。街ですれ違っても、彼女がスポーツ選手だと気づかないかもしれない。そんなかわいらしい女性が、力強いフォームと粘り強い走りで人々を魅せる、次世代を担うランナー・三宅紗蘭選手だ。
小学生の頃は水泳やソフトボールに打ちこんでいた彼女が陸上と出合ったのは、中学生のとき。「水泳を続けるはずが進学先の中学校に水泳部がなくて…。もともと走ることが得意だったこともあって、体力づくりになれば」と陸上を始めた。最初は種目を限定せず競技に取り組んでいたが、自身の知らぬ間に県の地区予選に長距離選手としてエントリーされ、さらにそこで好成績を収めたことがきっかけで、長距離の道へ。中学1年時は県大会の決勝まで駒を進めるも、成績は上位には食いこめなかったというが、競技を始めて間もないのに上級生を抑え、決勝に出場する地力には驚きしかない。このときの悔しさをバネに、部活動と並行して質の高い練習を行う地域の陸上クラブにも参加。誰よりも早く走るため、ひたすら練習に明け暮れた。中学2、3年時には常に優勝候補として名を轟かせるまでに成長。ランナーとしての才能を開花させた。「走ることが楽しくて。誰よりも早く走れたときは本当にうれしいです」と、陸上の楽しさに目覚め、中学を卒業後もそのまま陸上の世界に身を置くことに。
数ある陸上に強い高校の中でも、玉野光南高校へと進学を決めたのは、選手の自主性を重んじる指導に強く共感し、「自分のリズムで練習できる」という考えから。毎朝10㎞を走る朝練に、ポイント練習、スピード練習をこなし、決まった練習メニューのない日は自分でメニューを組み立て、ストイックなまでに練習に取り組んだ。当時を振り返り、自身を「後半に強く、粘りには自信があった」と評す一方で、「スピード面が弱くて。ラスト100mのスピード勝負になるといつも競り負けていたので、そこを強化しつつ、ロングスパートで勝負していました」と分析する。高校2年生になると、これまでの練習の成果がはっきりと形に。記録がぐっと伸び、「このままいけば3年生のインターハイに出場できる」――。だが、高校3年時に初めてのスランプに陥ることになる。走っても走ってもタイムが伸びず、自己記録に近いタイムは出るが成績にはつながらず、インターハイも予選で敗退という結果に。そんなときでも腐らずにがんばれたのは、ひとえに自分を応援してくれる仲間がいたからこそ。部活の顧問や同じ学科のクラスメイトの存在が励みとなり、前を向けた。
高校卒業後は、名門と名高い天満屋女子陸上競技部に所属。世界で活躍する選手の多さ、そして、武冨監督の「絶対マラソンに向いてるよ!」という熱烈なオファーから、「マラソンに挑戦してみたい」という思いが強くなり、入部を決断した。現在こそ、そつなく練習をこなしている彼女だが、実は練習嫌いという一面も。所属当時は「練習量の多さや厳しさについていくのがやっと、という状態でした」と、天満屋女子陸上部のレベルの高さを思い知り、心が折れそうになったこともしばしば。それでも、ルーキーイヤーにして、憧れだという小原選手と前田選手と同等のメニューをこなすなど、底力を見せつけた。2018年に「全日本実業団対抗駅伝競走大会」の4区で、外国人ばかりの区間でありながらも、その期待に応えるかのように区間7位の成績を残した。続く2019年の同大会では、後半のエース区間と称される、高低差の激しい5区に抜擢。区間賞を獲得する見事な走りで注目を集めた。
現在は、徐々にマラソンの練習も行っている。目下の課題は「練習に対する気持ちの波」を克服すること。「一度、精神的に弱くなり、本当に走れなくなって…。そんなとき、監督が『俺は本気で三宅はオリンピックに行けると思っているよ』って言ってくださって。その言葉がすごく支えになっています」。今はまだ道半ばだが、「自分がどこまで行けるかわかりませんが、本格的にマラソンに挑戦し、日本のトップで戦っていきたいと思っています」と目標を語ってくれた。負けず嫌いなランナーが、マラソン界の頂点に佇む。そのときが来るのは、そう遠くない未来なのかもしれない。
(タウン情報おかやま2020年3月号掲載より)