《早川優衣×BMXレーサー》岡山から世界の舞台へ。BMX界にニューヒロイン現る。
東京五輪の正式種目として注目が高まり続けるBMXレース界に、また新たなヒロインが登場した。井原市出身の現役女子高校生レーサー、早川優衣だ。今回は東京五輪、さらには2024年のパリ五輪を見据えさらなる高みを目指し続ける早川選手にフォーカス!
ほかの誰でもない自分のために0・01秒に挑む。
五輪種目決定で湧くBMX界にまたひとり、ニューヒロインが現れた。2011年、競技歴1年足らずで初出場した国内レースで初優勝を飾ると、2013年には全日本BMX連盟(JBMXF)年間ランキング1位を獲得。翌2014年、13歳の若さで日本自転車競技連盟(JCF)ユース強化指定選手に選出され、年長の選手を差し置いて世界選手権やワールドカップに次々と参戦するように。そして今や目前に迫る東京五輪代表入りにも期待がかかる現役女子高校生BMXレーサー・早川優衣選手(18)だ。
彼女がBMXライダーになったのは、2歳下の弟・敦哉さん(16)がきっかけだった。小学校に上がると間もなくBMXに乗りはじめた敦哉さんの練習のため、週末は両親の車でダートコースへ。早川選手もたびたび同行したが、BMXライダーのために整備されたただっ広い広場に10歳の少女を楽しませるものがあるはずもない。バイクに手をかけたのは、「手持ち無沙汰を解消してくれそうなものがほかになかった」。ただそれだけの理由だった。
けれどその「単なる暇つぶし」のつもりでハンドルを握ったBMXに、彼女はたちまち心奪われた。下から見上げるばかりだった高さ数メートルのスタート地点に身を置くと、味わったことのない高揚感が体を突き抜ける。車輪に導かれるまま恐る恐る斜面を下ると、想像をはるかに超えるそう快感。バームと呼ばれるすり鉢状のコーナーではたびたび車輪を取られたが、転倒を繰り返しながらようやく攻略すると、その後の加速力は一気にアップ。細かいデコボコが続くリズムセクションも、車体が体に寄り添ってくるような心地よい一体感を味わいながら、おもしろいほどリズミカルに走り抜けられるようになった。「自転車に乗るのが、こんなに楽しいなんて」――。弟が夢中で疾走するのを眺めてのんびりとやり過ごすだけだった週末が、いつしか指折り数え待ちわびる何よりも楽しみな時間になっていった。
BMXレースは、6~8人の選手が一斉に走り着順で勝敗が決まるシンプルな競技。そのため脚力勝負と思われがちだが、実は勝敗の分け目はゴールに至るまでのレース展開にある。「序盤でトップにつければその後のレース展開が有利になるのは確かなんですけど、スタートのタイミングやジャンプの滞空時間、コーナーに入った時のライン取りの戦略などによって生じるわずか0・01秒の差が、勝敗を大きく左右することも少なくないんです」。実際、過去のレースでは最後尾からバームを制し、5人を一気にごぼう抜きした末にトップでゴールしたことも。長身とはいえ特別脚力が強いわけではない早川選手が次々と戦績を残してこられたのは、レース中の戦略ととっさの判断が奏功してきたことも大きな理由のひとつだろう。
しかし、順風満帆だったわけではない。強化指定選手としてA指定昇格を目指し3~10月はほぼ毎月のように海外遠征に臨んだが、体格も経験値もはるかに上手の海外選手を相手に大苦戦。その後の国内戦でも十分な結果が残せず、普段感情をあらわにすることのない彼女も、この時ばかりは悔し涙にぬれた。それでも自分に向けられる周囲の期待は否応なく高まり、「勝ち」へのプレッシャーばかりが重くのしかかる。数年前までは、バイクに乗って走ることがただ純粋に楽しかったのに――。上を目指せば目指すほど高く厚く立ちはだかる壁に、「しばらくのんびり休みたい」。そんな思いが頭をよぎることが増えていった。
そんな葛藤から救いだしてくれたのは、姉弟にして最大のライバルでもある弟・敦哉さんだった。五輪挑戦には18歳以上という年齢制限があるため、16歳の彼に東京大会への出場のチャンスはない。けれどここ最近の成長ぶりは著しく、2024年のパリ大会では間違いなく代表候補にその名が挙がるだろう。彼も彼なりのプレッシャーを感じているに違いない。けれど、そんな素振りは一切見せず、ひとたびBMXにまたがれば小学生の頃と変わらない様子でレースを楽しんでいる。シーズンを終え、久しぶりに家族と出かけた練習場で彼の笑顔に触れた瞬間、初めてBMXにまたがりコースを疾走したときのあの高揚感がよみがえる心地がした。悔しさにぬれた今シーズンは、次なる舞台に確実にコマを進めるためのプロセスに過ぎない。そう信じて早川さんは、今日もコースに向かう。
(タウン情報おかやま2020年1月号掲載より)