《小倉彩愛×ゴルフ》若手女子ゴルフ界を引っ張る「ミレニアム世代」の注目選手。
幼少からひたむきに練習に取り組み、若手の中でも指折りの実力を持つ小倉さん。将来をしっかりと見据え、焦らず、着実に目標に向けて歩みを進めていっている。プロテストに向け、一日一日を大切にひた走る彼女にインタビュー。
本物の強さを手に入れるためにまだ見ぬ壁のその先へ。
「日本プロゴルフ協会女子部」(後の「日本女子プロゴルフ協会」)が発足したのは1967年のこと。宮里藍を筆頭とした2000年代初頭に女子プロブームが起こり、最近ではその宮里世代にあこがれて育った「黄金世代」が活躍。そうかと思えば、その背後には既に2000年生まれの高校生アマら「ミレニアム世代」が迫り、今や女子ゴルフ界は群雄割拠の様相を呈している。そしてその「ミレニアム世代」のひとりに名を連ねるのが、地元岡山出身、岡山操山高3年生の小倉彩愛さんだ。
彼女が初めてゴルフクラブを手にしたのは4歳の時。父親の見よう見まねで素振りを覚えると、まるでままごと遊びのように球を転がすことに没頭し、誰かに声をかけられるまで延々とクラブを振り続ける子どもだったという。クラブはいつしか彼女の一部となり、彼女の成長とともにむしろその存在感を大きくしていった。
実際、彩愛さんの人生は常にゴルフとともにあった。小学校へ上がっても、中学へ進学しても、学校が終わるとわき目もふらず練習場へ直行し、ただひたすら白球と向き合う日々。ゴルフを離れて同級生たちと遊んだ記憶は、小学校卒業間近のたった一日、それもわずか3時間だけだ。ツアープロ並みのストイックさに感嘆するばかりだが、当の本人は「ゴルフしかしてこなかったから、ほかに何をしたらいいか分からなかっただけ」と朗らかに笑う。そんな彼女のゴルフ熱に拍車をかけたのが、2012年「伊藤園レディスゴルフトーナメント」でのイ・ボミ、有村智恵両選手の決戦だ。プレーオフの末に勝利を手にしたのはイ選手だったが、結果以上に彩愛さんの印象に残ったのは、惜敗してなお凛とした潔い笑顔でグリーンを後にする有村選手の姿。「選手にとって逆転負けするほど悔しいことはないはずなのに、それをまったく表情に出さず、ギャラリーにも気さくに接する有村選手がとても格好よく見えた。スコアだけではない、人間としての本当の強さを見たような気がしました」。この時の感動をきっかけに、彩愛さんはプロを目指すことを決意する。
10歳ごろから公式試合に出場しはじめた彩愛さんは、「岡山県ジュニアゴルフ選手権」を皮切りに県内外の主要な試合で次々と勝利。高校2年生で挑んだ「日本女子オープンゴルフ選手権」では、人生3度目のホールインワンを達成して堂々の3位につけ、その後日本ゴルフ協会のナショナルチームのメンバーにも選出。プロへの道を順調に駆けあがりはじめた。
けれどそんな彼女にも、試練の時は訪れた。きっかけは、高校進学後間もなく陥った体重減少。食べても食べても体重が増えない日々が続き、栄養管理と筋トレの両立でようやく体重が安定して増えはじめたころ、今度はスウィングの不調に見舞われる。体格が変わってそれまでのフォームが機能しなくなるのはよくあることだが、ある程度想定していたこととはいえ、今まで経験したことのない不調に歯がゆい思いが募った。そんな彼女にさらに追い打ちをかけたのが、手首の故障だ。球筋を何とかコントロールしようと、知らず知らずのうちに無理な力がかかっていたのかもしれない。いよいよパターを握ることすらできなくなり、エントリーしていた2018年5月の「中国女子アマチュアゴルフ選手権競技」はやむなく欠場。2018年10月を最後に、完全に試合参戦をストップする事態にまでなってしまった。悔しかったのは、試合に出られなくなったことではない。大好きな練習ができず、グリーンに立つ喜びを味わえないことが何よりつらかった。そんなときいつも心の支えになったのは、かつて見た有村選手の雄姿だ。どんなに懸命に努力しても、思い通りにいかないことはある。アマチュアの今でさえそうなのだから、プロの世界に入ればなおさらだ。けれどきっと真の強さというのは、苦しみを乗り越えた者だけが手に入れられるものだ――そう思うと、すっきり気持ちを切り替えられた。
それから数カ月がたち、今、手首の状態は万全に近いところまで回復した。もちろん、まだ以前のように毎日300球以上を打ち込めるほどではないが、今は2日に一度、50球流せればそれで十分だ。たとえ目の前の試合を犠牲にしても、プロとしてグリーンに立つチャンスを失うよりは100倍いい。2019年夏からはじまるLPGAプロテストまで、もう間もなく。心の準備が整えば、体も必ずついてきてくれるはずだ。
(タウン情報おかやま2019年2月号掲載より)