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《大池水杜×BMX》岡山から、世界を獲る

THE VOICE OF ATHLETE

  • 情報掲載日:2019.03.04
  • ※最新の情報とは異なる場合があります。ご了承ください。

《大池水杜×BMX》岡山から、世界を獲る

楽しむことが最優先だったBMX。しかしオリンピック種目に採用され、成績を意識しなければなくなるジレンマが彼女を襲う。そんな葛藤と戦いながらも、「楽しむのが自分のスタイル」と、彼女はぶれずに前に進む。

夢人
大池水杜 MINATO OIKE PROFILE
21歳。BMX競技歴7年。2018年8月より岡山に移住し、岡山を拠点に世界に向けて練習に取り組む女性ライダー。2018年5月に行われたワールドカップで日本人初優勝を果たした。

勝ちを目指しても走ることを楽しむ気持ちは失いたくない。

2017年6月、2020年に開催される東京オリンピックの追加種目5競技18種目が発表された。なかでも注目を集めたのは、若者に人気の都市型スポーツ「BMXフリースタイル・パーク」の正式種目入り。『X Games』を中心に近年は世界でさまざまな大会が開催されてきたものの、モトクロスを模した子どもたちの自転車遊びが発祥。もともとスポーツ競技というよりストリートカルチャーの色が濃いだけに、五輪正式種目採択は大きな話題を呼んだ。そして、そのBMXフリースタイル・パークの代表選手に推し上げられたのが、大池水杜(おおいけ・みなと)さん。「BMXを始めたのは、ただ楽しそうだったから。遊び感覚で続けてきたことが、まさかオリンピック競技になるとは。まさに寝耳に水でしたね」と振り返る。

大池さんとBMXとの出会いは14歳の時。二輪スポーツ好きの父親の影響で小学生低学年からモトクロスをはじめ、その後自転車のトライアル競技に転向。モトクロスの疾走感を体験した後のバイク競技はどこか物足りなく競技から足が遠のいた時期もあったが、中学2年生の時訪れた地元の施設で、同年代の少年が自転車の上で華麗に舞う姿に興味が再燃。「自分ならもっとうまく乗れる」――幼いころから二輪車を自在に操ってきた自負に、眠っていた闘志が駆り立てられた。とはいえ、いざ始めてみるとBMXを乗りこなすのは思いのほか難しかった。モトクロスのようにエンジン援護がない分、感覚だけで飛ぼうとしても高さが出ない。テクニックを身に着けるまでは、まさに七転び八起き。それでも練習を重ねるほどに滞空時間は徐々に伸び、高く飛べば飛ぶほど心地よい跳躍感が体中を包み込む。「もっといろんな技に挑戦したい」。アイドルやおしゃれに夢中になる同級生たちを尻目にBMXにのめり込んでいった。

世界大会に初めて出場したのは、それからわずか3年後の2013年。BMXフリースタイル・パークの花形となる大技・バックフリップを日本人女性で初めて決めた澤田早希選手に「負けたくない」という思いでエントリーしたものだったが、折しも澤田さんは試合を前に引退を表明。唯一の日本人選手となった大池さんは、思いもよらず世界5位入賞を果たすことになった。初出場での入賞は名誉なことではあったが、同時に国内に互角に張り合えるライバルが不在であることの証明にもなった。それでも大池さんがモチベーションを失わずいられたのは、とにかくBMXを操る時間が楽しかったからにほかならない。国内にライバルがいなくても、海外にはいる。まだまだ完成度の低い技もある。それは大池さんにとって、さらに上を目指すに十分なモチベーションだった。

夢人
よりよい練習環境を求めて、2018年8月から出口代表監督のいる岡山に移住。「日本で唯一の女性ライダーですが、女にもできる!という私のライディングを魅せつけたい」と語る

そんな大池さんに転機が訪れたのは19歳の時だ。高校を卒業し会社員として働いていた彼女のもとに、突然見知らぬアドレスから英文のメッセージが届く。「『X Games』に出てみない?」。女性BMX界で「レジェンド」と呼ばれるアメリカ人ライダー・ニナ=ブリトラーゴからだった。招待制のエキシビションの『X Games』は、希望したからといって誰でも出られるものではない。会社員の大池さんにとって長期遠征のハードルは高かったが、「こんなチャンスは二度とないかもしれない」と渡米を決断。この決意が、大池さんのその後のBMX人生を大きく変えた。『X Games』への参加によって世界に存在感を示せたことも、もちろん大きかった。けれどそれ以上に財産となったのは、世界トップクラスの選手たちと親交を深められたことだ。「試合で顔を合わせたり、動画を見たりして以前から知っている選手もたくさんいましたが、言葉の通じない外国人だし、スキルも桁違いにうまいし、どこか遠い存在のように感じていたんです。でもアメリカ滞在中の1週間で友だちのように仲よくなり、その技を間近に見たことで、それぞれの得手不得手もリアルに見えてきた。あと少し頑張れば雲の上の存在だった彼女たちにも勝てるんじゃないか、と思えるようになったんです」。

試合であれエキシビションであれ、自分が楽しむことが最優先だった大池さんが成績を意識するようになったのも、この頃からのこと。「自分のペースで自分が好きな技を成功させるのが、本来一番気持ちいいんです。でもライバルに勝とうと思えば成績を上げるしかないし、得点を稼ごうと思えば苦手な技も練習しなければいけない。『自分のスタイルじゃない』と避けてきたルーティンも組み立てなければならない。葛藤はありますが、楽しむのが自分のスタイルなら、勝つために必要なことは、苦手も含めて全部楽しめるようにすればいいと思うようになりました」。

そんな心境の変化を経て2018年5月1日に出場したワールドカップでは、見事日本人初優勝を獲得。今後の活躍へ弾みをつけ帰国した2018年夏には、環境が整う岡山市に練習拠点を移した。目下の目標はもちろん、2020年の金メダル獲得。21歳の若きBMXライダーは、岡山から世界を目指す。

(タウン情報おかやま2018年10月号掲載より)

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