戦火を乗り越えて、地域の人々の元気の素になってきたお祭り。
表町商店街を活気づける、「だんじり」と「こちゃえ」に魅せられて。
『ハレノワ』が建つ土地の記憶を大切にしたい…そんな願いを込めて。
去る9月の『岡山芸術創造劇場 ハレノワ』開館事業「100人ダンス」では、そのお膝元となる表町商店街をハレノワダンサーたちがパレードした際、船形の白い山車(だし=だんじり)「ソウゾウのフネ」が登場! 実はこれには、モデルがあったんです。
それは、1956(昭和31)年の表町商店街で盛大に開かれた岡山商工祭で、南極船を模しただんじりに子どもたち扮するペンギンが乗っている写真。これをヒントに、過去から復活した船が未来への希望を乗せてハレノワに到着するというコンセプトで作られたものだとか。
表町商店街周辺では今も、秋祭りの文化とともに、だんじりを曳く際に歌う「こちゃえ(備前太鼓唄)」が江戸時代から大切に受け継がれています。祭りの主役である地元の子どもたちは減る一方ですが、その文化をなんとか次世代につなげたいと頑張っている人たちがいます。
表町商店街には『ハレノワ』のある千日前のほか、上之町、中之町、下之町、栄町、紙屋町、西大寺町、新西大寺町と、全部で8つの町内会(表八ケ町)があり、岡山神社と今村宮の氏子に分かれています。
昔、現在の岡山県庁付近にあった今村宮は岡山市北区今に遷座していますが、秋祭り当日のみ新西大寺町に祭壇が設置されるそうです。それぞれの町内会で代々伝わっていた、太鼓を台に据えた「太鼓居段尻(たいこすえだんじり)」や獅子舞頭などは、1945(昭和20)年の岡山空襲でほとんど焼失したとか。
以降の祝祭行事では仮装行列が中心の時期もありましたが、第一次ベビーブーム世代の子どもたちの成長に伴い、1955(昭和30)年前後には各町で子どもたちが曳く「太鼓居段尻」をいっせいに調達。1960(昭和35)年頃にはだんじりパレードが復活していたようです。
▲以前は、だんじり行列の先頭を獅子舞の獅子頭が務めたことも。「備前岡山だんじり祭」では、岡山市無形民俗文化財「備前岡山獅子舞太鼓唄」の保存会(岡山市北区出石町)が獅子舞を披露後、だんじりの前へ‥。上之町はもと同じ町内だった天神町南町と合同のだんじり
現在、この一帯の秋祭りのだんじりパレードは10月第2土曜に統一して夕方からスタート。
子どもが減少したことからだんじりを手放した町内会もありますが、今年も上之町、中之町、下之町、栄町、西大寺町がそれぞれアーケード経由で別々のルートを練り歩き、神社でお祓いを受けました。
「こちゃえ」節に合わせて太鼓をたたき、鉦(かね)を鳴らしながら行き交うだんじりパレードは見ごたえ充分!
そして、パレードの前日と当日には、表町町内のだんじりのほか、同じく岡山中央小学校区である他の町内会のだんじりも集めて展示する「備前岡山だんじり祭」を2019年から実行委員会が開催。
今年は7台が上之町の北時計台付近からずらりと並び、訪れた人に喜ばれていました。
「いわゆる祭りバカですね」と笑うのは、2021(令和3)年に「こちゃえ振興応援団」(団長:古市大蔵氏)を発足させ、事務局を務める中之町の老舗『アサノカメラ』4代目・中塚敏生さん(1942年生まれ)。
各町内に呼び掛けて昔の祭りの写真を集め、毎年祭りを撮影した写真のコンテストも開いて、当店2階のサロンで祭りをテーマに写真展を開催しています。
祭りシーズンには、地域の小中学生に書いてもらった習字を貼った行灯を商店街の店頭に飾ってもらう試みも。
「子どもの頃の祭りは、近所の幸徳稲荷に自分たちが書いた習字の行灯が吊るされ、金魚すくいや綿菓子などの出店もあって…。だんじりを曳いた後にお菓子がもらえるのも楽しみでしたね」と目を細めます。
また、表町商店街で約40店が多彩な無料講座を開く恒例の「まちゼミ表町」では、「こちゃえ」の歴史を伝える講座をはじめ、獅子舞や太鼓・鉦(かね)・横笛の演奏法を学べる「備前太鼓唄」講座、「こちゃえ」に合わせて踊る講座なども実施。
踊りの講座を受けた人には、秋祭りへの参加を募って衣装を用意し、中之町のだんじりパレードで一緒に踊ってもらっています。「覚えやすい踊りなので、当日は飛び込み参加もOKですよ」と敏生さん。
▲中川さんと舞踊仲間を先頭に、「まちゼミ表町」の参加者たちも踊った中之町の2023年のだんじりパレード。「数年前、後楽園で日本舞踊を披露後、それを見た中塚さんが突然楽屋に来て。踊りの考案を頼まれたんです」と中川さん
「こちゃえ」には、当時の出来事をかわら版的に節にのせて伝えたといういわれがあります。
なかでも、『ハレノワ』のすぐ北の西大寺町であった大火を歌った「備前岡山 西大寺町 大火事に 今屋が火元で五十五軒 コチャ 今屋が火元で五十五軒 コチャエコチャエ」の節は有名です。
また、歌詞に自分たちの町の名や特色なども入れ、他の町と競う手段になったことも。
たとえば上之町の場合、だんじりを曳く時に「なんぼ中之町が強いとて 弱いとて 上之町の子どもにゃ かなやせぬ コチャ 上之町の子どもにゃ かなやせぬ」などと歌ったり…。
実は『アサノカメラ』は120年の歴史を持つ老舗。
初代・中塚秀太郎さんは大阪で写真の修業をし、表町の旧上之町エリア(現在の天神町)にあった、菅原道真をテーマにしたテーマパーク『亜公園』で岡山県初の写真館『如水軒』を構えた。『亜公園』は日本初のテーマパークと言われています。
その後、1901(明治34)年に中之町でこのカメラ販売店を創業。
「都都逸」(どどいつ 7・7・7・5の26音で三味線に合わせて歌う即興歌)が好きすぎて放蕩三昧だったため、実家である、下之町にあった質屋『浅野屋』から勘当されたのですが、屋号に「アサノ」をつけることは許されたそう。
「当時、カメラは非常に高価で『家を建てるか、カメラを買うか』で家族会議が開かれたという話もあるくらい。
秀太郎はカメラが売れたらすぐ店を閉め、従業員とすき焼きパーティをした後、自身は花街に出かけて芸者と都都逸をうなり、裸踊りを本気で披露していたとか(笑)。
都都逸の雅号・東海堂雲助の名で全国に知られ、弟子たちもいたそうです」。
一昨年、「ハレノワ」の愛称募集時に「こちゃえ」と書いて応募したという中塚さん。その「こちゃえ」愛は初代の「都都逸」愛といい勝負かも。
「いつか、『ハレノワ』とコラボして、同じ表町商店街にある『岡山シンフォニーホール』(上之町)とともに、2つの劇場をつなぐお祭りになったらうれしいですね」。
夢を語る敏生さんの目は輝いています。
※参考資料
『岡山民俗』242号・田中豊論文『岡山市北区、表町の秋祭り』 (岡山民俗学会2021年発行)
『岡山の祭と踊』(日本文教出版1964年発行)
『岡山の祭りと行事 下』(山陽新聞社1983年発行)
『岡山表町商店街物語』(末廣健一 吉備人出版2019年発行)
『近代岡山 植産に挑んだ人々1』(山陽放送学術文化・スポーツ振興財団2021年発行)
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