激動の昭和~平成時代を乗り越えてきた表町商店街② 明治創業・老舗タオル店の記録写真でよみがえる記憶。
来年2023年9月の開館に向けて、表町商店街の南端・千日前に建設中の『岡山芸術創造劇場 ハレノワ』。
今回も、千日前と同じ表町3丁目にある新西大寺町の老舗店主のお話とともに、ひと昔前にタイムトリップします!
前回登場した、1925(大正14)年創業の中華料理店『廣珍軒』。その向かいの『国富タオル店』はもっと古い歴史を誇ります。「『廣珍軒』さんはうちの台所です」とほほ笑むのは『国富タオル店』の5代目・国富治子さん。
「初代・国富嘉三郎は岡山藩士でしたが、明治維新後の改革により武士として身を立てていくことができなくなったんです。そこで、1878(明治11)年にこの地で晒し木綿、いわゆる手拭いの店を構えました。
当時、商売を始めた元武士、士族は少なくなかったのですが、素人の商売なので失敗も多かったとか。嘉三郎の奥さんの実家は京橋にあった岡山有数の米問屋で、そこから商売を教わりながらお店を繁盛させていったそうです」。
当時はまだ鉄道の開業前で、表町の東側を流れる旭川を経由して人や物資が運ばれ、船着き場のある京橋周辺は交通の要衝として随分賑わっていました。そこにはいろんな問屋や飲食店など、店がたくさん集まっていました。
「ここは岡山藩の元家老の屋敷を何軒かに分けた店舗。大福餅店が火事になった跡にうちの店が入って、創業からずっとここで商売をしてきました。今も町屋の名残で、うちを含めて奥行き30m以上の店が並んでいます」。
「昔は、ここから少し西に流れる西川沿いの工場で手拭いを自社製造していたんです。染めた手拭いを川ですすいで…。こちらの店舗では主に、商品の受注や卸売販売をしていました。その頃は、各家が持っている家紋を好みのデザインの手拭いに染める注文が多かったそうです」。
そして、1945(昭和20)年の岡山空襲で店舗を焼失。同じ場所に店を建て替えたのだとか。
3代目である父の国富猪平さんが撮影した古いアルバムの写真からは、戦後の新西大寺町の様子が伝わってきます。
「私が高校から大学生くらいの頃、昭和30年代の表町商店街は人通りがすごかったですよ。クリスマスの時なんか、隣町の西大寺町から千日前に続く十字路の南時計台が見えなくなるくらい人が集まって…。三角帽子を被った近所のパン屋さんやお菓子屋さんが、そこでケーキの箱を売りさばいていましたよ」。
「裏通りにはスナックがたくさん並んで、まるで眠らない街のようでした」。
「お正月は、年の離れた姉たちが午前1~2時頃から髪をセットしに美容院に出かけてましたね。みんな着物を着て、千日前の映画館に見に行ったり…。いろんなところからすっごい人が来て。今の静かな商店街とは大違い(笑)」。
1991(平成3)年には、表町商店街北端・上之町の再開発事業で、商業施設やオフィスも入った『岡山シンフォニーホール』が開館しました。8年後、その南側にオランダの石畳をイメージした『オランダ通り』が誕生。
さらに翌年、表町商店街・中之町の西側に、ショッピングビル『クレド岡山』もオープンして脚光を浴びます。
「周辺の店の人たちは街が賑やかになると期待してましたよ。一時は人通りも増え、『オランダ通り』にはいろんな飲食店がオープンしました。でも、長続きするのは難しかったですね。表町で待合せや買い物をしても、すぐ岡山駅前に移動してしまう人が多いですから」。
2014(平成26)年、JR岡山駅と地下道で直結した『イオンモール岡山』が誕生。多彩な店舗に、シネマコンプレックス『イオンシネマ岡山』やホール、立体駐車場まで備え、ますます岡山駅への人の流れが加速しました。
「表町は空き店舗が多いでしょ。後継者がいなくて貸し出そうにも、店と2~3階の住居部分の出入り口が同じことが多く、家主が上に住んでいたら難しい。改装にはお金がかかり、なかなか前向きにはいかないですよ」。
そんななか、街を盛り上げようと表町商店街で力を入れている取り組みが「まちゼミ」だ。
「各店が専門知識を活かして無料ワークショップを開いています。これは全国的に話題になっていますね」。
では、『岡山芸術創造劇場』ができることへの期待はいかがでしょうか?
「わざわざ大阪なんかに行かなくても、岡山で好きな歌舞伎とかを鑑賞できたら嬉しい! この劇場のビルにもショッピング街が入るでしょ。そこからこっちまで人の流れがうまくできればいいですね。周辺に駐車場が少ないことが、今後どう解決されるかが気になります」。
残念ながら、『国富タオル店』はこの9月でその長い歴史の幕を閉じます。140年以上と長く店が続いたのはなぜでしょうか。
「取引先の会社名を入れた業務用タオルの受注が中心だったことや、地元客のリクエストになるべく答えてきたことが大きいかもしれません。閉店しても、以前から続けてきた保護ネコ活動を頑張っていきます」。
そう話す治子さんの膝で甘える看板猫・ソラちゃんも、実は保護したネコ。おかげで、このあたりをさまよう野良ネコはほとんどいなくなったんだそうです。
★<消費税率の変更にともなう表記価格についてのご注意>
※掲載の情報は、掲載開始(取材・原稿作成)時点のものです。状況の変化、情報の変更などの場合がございますので、利用前には必ずご確認ください
※新型コロナウイルス感染拡大防止の対策として、国・県・各市町村から各種要請などがなされる場合がございます。必ず事前にご確認ください
※お出かけの際は、ソーシャルディスタンスの確保やマスクの着用、手洗いや消毒など、新型コロナウイルス感染予防の対策への協力をお願いします