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岡山芸術創造劇場 ハレノワ ~カウントダウン♪ 千日前から

深~い! 新劇場「岡山芸術創造劇場」と千日前の誕生物語vol.10

変わる 街をウォッチング。岡山芸術創造劇場~カウントダウン♪ 千日前から

  • 情報掲載日:2022.05.20
  • ※最新の情報とは異なる場合があります。ご了承ください。

激動の昭和~平成時代を乗り越えてきた表町商店街② 明治創業・老舗タオル店の記録写真でよみがえる記憶。

来年2023年9月の開館に向けて、表町商店街の南端・千日前に建設中の『岡山芸術創造劇場 ハレノワ』。

今回も、千日前と同じ表町3丁目にある新西大寺町の老舗店主のお話とともに、ひと昔前にタイムトリップします!

前回登場した、1925(大正14)年創業の中華料理店『廣珍軒』。その向かいの『国富タオル店』はもっと古い歴史を誇ります。「『廣珍軒』さんはうちの台所です」とほほ笑むのは『国富タオル店』の5代目・国富治子さん。

▲『国富手拭い店』(当店の旧名称)の創業時の様子を描いた版画。当時は水道が整備されておらず、桶を背負う水売りの姿も(『山陽吉備之魁』岡山市立中央図書館蔵)
▲手拭いの洒落たデザイン見本が壁に掛けられた、戦前の店内。「10歳前後から奉公に来る子もいて、従業員はけっこう多かったようです。奥で偉そうにしているのがきっと番頭でしょ(笑)」と治子さん

「初代・国富嘉三郎は岡山藩士でしたが、明治維新後の改革により武士として身を立てていくことができなくなったんです。そこで、1878(明治11)年にこの地で晒し木綿、いわゆる手拭いの店を構えました。

当時、商売を始めた元武士、士族は少なくなかったのですが、素人の商売なので失敗も多かったとか。嘉三郎の奥さんの実家は京橋にあった岡山有数の米問屋で、そこから商売を教わりながらお店を繁盛させていったそうです」。

当時はまだ鉄道の開業前で、表町の東側を流れる旭川を経由して人や物資が運ばれ、船着き場のある京橋周辺は交通の要衝として随分賑わっていました。そこにはいろんな問屋や飲食店など、店がたくさん集まっていました。

▲賞状のようなデザインのこちらは、昔、店の宣伝で地元に配られた「引札」。「染手拭卸商」の文字や初代の名前が入り、上部に天皇・皇后両陛下の写真が入っているのにはびっくり!(岡山市立中央図書館蔵)

「ここは岡山藩の元家老の屋敷を何軒かに分けた店舗。大福餅店が火事になった跡にうちの店が入って、創業からずっとここで商売をしてきました。今も町屋の名残で、うちを含めて奥行き30m以上の店が並んでいます」。

「昔は、ここから少し西に流れる西川沿いの工場で手拭いを自社製造していたんです。染めた手拭いを川ですすいで…。こちらの店舗では主に、商品の受注や卸売販売をしていました。その頃は、各家が持っている家紋を好みのデザインの手拭いに染める注文が多かったそうです」。

そして、1945(昭和20)年の岡山空襲で店舗を焼失。同じ場所に店を建て替えたのだとか。

3代目である父の国富猪平さんが撮影した古いアルバムの写真からは、戦後の新西大寺町の様子が伝わってきます。

▲まだアーケードがない、昭和20年代の新西大寺町を東側から撮影。『国富タオル店』の隣には大手広告代理店『電通岡山支店』、向かい側に『廣珍軒』や『日本生命』が並ぶ。『天生堂物産』のタワーは、岡山初と言われているネオンサイン「ライオン」の文字とともに夜空に浮かび上がった
▲1952(昭和27)年の「春の商工まつり」にて。仮装した表町商店街の人たちが乗ったトラックが『天満屋』の前を通る。人だかりがすごい!

「私が高校から大学生くらいの頃、昭和30年代の表町商店街は人通りがすごかったですよ。クリスマスの時なんか、隣町の西大寺町から千日前に続く十字路の南時計台が見えなくなるくらい人が集まって…。三角帽子を被った近所のパン屋さんやお菓子屋さんが、そこでケーキの箱を売りさばいていましたよ」。

「裏通りにはスナックがたくさん並んで、まるで眠らない街のようでした」。

「お正月は、年の離れた姉たちが午前1~2時頃から髪をセットしに美容院に出かけてましたね。みんな着物を着て、千日前の映画館に見に行ったり…。いろんなところからすっごい人が来て。今の静かな商店街とは大違い(笑)」。

▲1956(昭和31)年、アーケード完成の記念大売出しをする新西大寺町商店街。当時、商店街の人たちは立派なアーケードが自慢で、「シルバーアーケード」と称した。商店街入口の角にあった映画館『大福座』は大福餅店が営んでいたとか

1991(平成3)年には、表町商店街北端・上之町の再開発事業で、商業施設やオフィスも入った『岡山シンフォニーホール』が開館しました。8年後、その南側にオランダの石畳をイメージした『オランダ通り』が誕生。

さらに翌年、表町商店街・中之町の西側に、ショッピングビル『クレド岡山』もオープンして脚光を浴びます。

「周辺の店の人たちは街が賑やかになると期待してましたよ。一時は人通りも増え、『オランダ通り』にはいろんな飲食店がオープンしました。でも、長続きするのは難しかったですね。表町で待合せや買い物をしても、すぐ岡山駅前に移動してしまう人が多いですから」。

▲アコースティック音楽に適した優れた音響性が自慢のシンフォニーホール。ちなみにホールの南側、表町商店街の一筋東を通る「オランダ通り」は、この地に住んでいたシーボルトの娘で日本初の産科医・楠本イネにちなんで名付けられた

2014(平成26)年、JR岡山駅と地下道で直結した『イオンモール岡山』が誕生。多彩な店舗に、シネマコンプレックス『イオンシネマ岡山』やホール、立体駐車場まで備え、ますます岡山駅への人の流れが加速しました。

▲地元で野良ネコの里親探しのボランティア活動を続ける治子さんが育てた、人懐っこいソラちゃん。病気で育たないと言われていたが、もう11歳に。治子さんの外出中はいつも店のガラス戸の前で帰りを待っている

「表町は空き店舗が多いでしょ。後継者がいなくて貸し出そうにも、店と2~3階の住居部分の出入り口が同じことが多く、家主が上に住んでいたら難しい。改装にはお金がかかり、なかなか前向きにはいかないですよ」。

そんななか、街を盛り上げようと表町商店街で力を入れている取り組みが「まちゼミ」だ。

「各店が専門知識を活かして無料ワークショップを開いています。これは全国的に話題になっていますね」。

では、『岡山芸術創造劇場』ができることへの期待はいかがでしょうか?

「わざわざ大阪なんかに行かなくても、岡山で好きな歌舞伎とかを鑑賞できたら嬉しい! この劇場のビルにもショッピング街が入るでしょ。そこからこっちまで人の流れがうまくできればいいですね。周辺に駐車場が少ないことが、今後どう解決されるかが気になります」。

残念ながら、『国富タオル店』はこの9月でその長い歴史の幕を閉じます。140年以上と長く店が続いたのはなぜでしょうか。

「取引先の会社名を入れた業務用タオルの受注が中心だったことや、地元客のリクエストになるべく答えてきたことが大きいかもしれません。閉店しても、以前から続けてきた保護ネコ活動を頑張っていきます」。

そう話す治子さんの膝で甘える看板猫・ソラちゃんも、実は保護したネコ。おかげで、このあたりをさまよう野良ネコはほとんどいなくなったんだそうです。

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