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岡山芸術創造劇場 ハレノワ ~カウントダウン♪ 千日前から

深~い! 新劇場「岡山芸術創造劇場」と千日前の誕生物語vol.9

変わる 街をウォッチング。岡山芸術創造劇場~カウントダウン♪ 千日前から

  • 情報掲載日:2022.04.15
  • ※最新の情報とは異なる場合があります。ご了承ください。

激動の昭和~平成時代を乗り越えてきた表町商店街① 千日前発祥の老舗中華料理店・店主が思い出を語る。

2023年9月、表町商店街の南端・千日前にオープンする『岡山芸術創造劇場ハレノワ』。ポカポカ陽気に包まれて、建築中の新劇場への期待が膨らみます。

千日前と同じ表町3丁目に位置する、新西大寺町の中華料理店『廣珍軒』。こちらはなんと、岡山県内で初めてラーメンを出した店といわれ、創業は大正14年! 初代・杉野一太さんの孫である三代目・杉野雅一さんは1956(昭和31)年生まれで、生まれ育った表町商店街の変遷を昭和後期から見つめてきました。

▲『廣珍軒』の初代夫妻と子どもたち。左端が2代目・直樹さん(雅一さんの父)。まだ八穂子さんは生まれておらず、中央の女の子は姉たちとか。「母は『借金して出した店だから、夜も寝ずに働いた』とよく言っていました」と八穂子さん
▲1934(昭和9)年に建てられた、空襲で焼失する前の『廣珍軒』。初代は刀剣鑑定士もしていただけに、味だけでなく、器や調度品も本物志向だった。客層は、政財界の大物や、マントに高下駄姿の旧制第六高等学校(岡山大学の前身)の生徒、家族連れなど幅広かったとか

「もともとは、千日前の映画館があった銀ビルの裏の銭湯『帝国温泉』の横丁で創業したんじゃ。当時は屋台に毛が生えたような店じゃったみたい。じいさん(初代)が働きに出ていた大阪で人気のあった『支那そば』の味を、岡山に戻ってから独学で作り上げた。それがわりと早うに当たって。昭和初期に今の場所に移る時、本格的中華料理を出そうと、横浜中華街で働いていた中国人の兄弟を招いたんじゃ」と雅一さん。

▲戦前の1935(昭和10)年頃のメニューの一部。「肉絲湯麺」(豚肉入り中華そば)15餞など、100種類以上そろう高級料理店だったことが伺える
▲戦火で焼け残った、「五目そば」や「湯麺」などに使われていたという、洒落たラーメン鉢。中国製のものらしい。真鍮や銀の食器、象牙の箸なども使われていたようだ

東京オリンピックの開かれた1964(昭和39)年までは『廣珍軒』のそばの新西大寺町入口に映画館『大福座』もあり、商店街の人通りも多かったとか。

「自分が小学校低学年くらいまでは、千日前映画館街の全盛期じゃったな。子ども向け映画によく連れて行ってもらっとった。だけど、岡山駅に新幹線が開通してからは、目に見えて人通りが減っていったなぁ」。

1972(昭和47)年の開通翌年から、岡山駅前は百貨店『高島屋』や地下街『岡山一番街』をはじめ、大規模商業施設が続々オープン。

表町商店街周辺も大型スーパー『イズミ』や中之町地下街などが誕生し、岡山市の商業圏の中心は表町と岡山駅前の二極化時代を迎えます。

自動車も普及し、昭和50年代(1975年頃~)は郊外に広大な駐車場を備えた大型店が増えました。

平成の時代に入ると、大型ショッピングセンターに併設の『MOVIX』など複数のスクリーンを持つシネマコンプレックスが県下に登場。

商店街の小売店や施設への影響は大きく、千日前の映画館も1977(昭和52)年から次々と閉館していきました。

「青年部や店同士が協力して、なんとか表町商店街を盛り上げようとしたこともあったけどな。地元で開かれる『日限り地蔵の縁日』に合わせて店先に金魚すくいコーナーや路上ビアガーデンを設けたり、元旦に市長を呼んで振る舞い酒をしたり…。どれもささやかなものじゃったから、長続きせんかった(笑)」。

▲大正時代に落語や漫才などが上演され、多彩に使える場だった『大福座』は、空襲で焼失後に復活して映画館に。その『大福座』閉館後、ボウリング場や『天満屋ハウジング』になっていた建物が、吉本興業の劇場を経て地元のサークルや劇団の発表の場となり、2013(平成25)年に閉館。『3丁目劇場』の名は、空き家となった建物に今も残る

そんななか、2000(平成12)年、新西大寺町の『大福座』があった場所に、岡山市の活性化事業として『よしもと3丁目劇場』が開館。吉本興業岡山支社が誘致され、定期的に漫才ライブが上演されていました。

「吉本は初めの頃は力を入れとったよ。桂三枝や文珍とか大物も来たし、若手を育てて発表する場にもなっとったな。おかげで、このあたりの人通りも増えたし、芸人さんもよくこの店に食べに来てくれて…。でも結局、5年後に吉本は撤退。出演していた若手で、後に売れた人も多かったけどなぁ…。岡山出身の次長課長とかな」。

▲3代目夫妻と、叔母の八穂子さん(左端)。家族の絆が強いことは店が長続きする秘訣のようだ
▲「今の場所に移ったのは昭和2~4年の頃じゃろう」と雅一さん。現在の店舗は、1967(昭和42)年に建てられたもので、ノスタルジックなムードが漂う。台湾の花の絵が華を添える

この劇場の近くに同時期にオープンしたのが、講演会場や無料展示ギャラリーなどを備える岡山市男女共同参画社会推進センター『さんかく岡山』。子育て中の人がリフレッシュするためにも使える低料金の託児室があるのも魅力で、『廣珍軒』はこの隣です。
「うちの子たちは託児室の会員ナンバー1と2。小さい時はけっこう利用しようったよ(笑)」。

そしてついに、平成31年こと令和元年となる2019年、千日前の最後の映画館『岡山日活』が閉館しました。

▲2代目の時も神戸中華街から来た中国人コックが活躍。代々味を受け継ぎ、3代目が作る料理は絶妙な塩加減で、素材の旨みと食感が活きた上品な味わい。平日夜は「エビ粥」や「八宝菜」など18種のメインと12種の一品から選べる「よるごはんセット」1100円~がお得

「いろんな試みが根付いて発展していくのは難しい。でも、じいさんの頃からここで商売しようったら、やっぱりこの町を出るわけにいかんなぁと思う。地元の人に長年親しんでもらっているから」。

「新劇場に行くついでに食事に来てもらえたら。文化は人と人の生きざまがぶつかり合い、刺激し合って生まれるもの。古きを訪ねて新しきを知る。古い店ですけどよろしくお願いします(笑)」と雅一さん。

初代の娘で3代目の叔母になる土田八穂子さん(昭和14年生まれ)は、今も接客を担当して店を支えています。

「身を粉にして働く両親を見ていたので、小学校から帰ったらエビの殻をむいたりして手伝っていましたね。今の店は甥の時代ですが、応援したくて居ても立っても居られなくて(笑)」。

実は雅一さんの息子・太郎さんも4代目の継承を決意。この春に県外の大学を卒業して店を手伝っています。

驚くことに、向かい側にある『国富タオル』さんはもっと古い店とか。次回はこちらにお話を伺ってみましょう。

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