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岡山芸術創造劇場 ハレノワ ~カウントダウン♪ 千日前から

深~い!新劇場「岡山芸術創造劇場」と千日前の誕生物語VOL.8

変わる 街をウォッチング。岡山芸術創造劇場~カウントダウン♪ 千日前から

  • 情報掲載日:2022.02.01
  • ※最新の情報とは異なる場合があります。ご了承ください。

戦後の混乱期を乗り越えて② 表町商店街から文化&芸術を発信し続けてきた百貨店『天満屋』。

2023年のオープンに向けて表町商店街・千日前に着々と建設が進む『岡山芸術創造劇場 ハレノワ』。『岡山市民会館』と『岡山市民文化ホール』の役割を担い、作品を見るだけでなく、「創造」して愉しむ劇場に生まれ変わります。

今回は、表町商店街の昭和時代を、戦災を乗り越えて文化&芸術を発信し続けてきた『天満屋』にフォーカスしてご紹介します。

1945(昭和20)年6月、深夜2時半を回った頃、岡山市上空に143機の米軍機が襲来しました。「岡山大空襲」です。わずか2時間あまりの爆撃で岡山市中心街は焼野原となり、1700名以上の犠牲者を出しました。

その悲惨な状況下、焼野原の電柱に一枚のビラが貼られました。「天満屋の従業員は、7月3日、国富の安住院に集まれ」。それは従業員の安否を確かめ、今後の方針を伝えるための『天満屋』の集会でした。

そして、それを目にした約80名の従業員が集まったのです。

▲大空襲後、営業を再開したばかりの『天満屋』。安住院での復興決意からちょうど100日目に、修理した店舗1階南半分を売り場として営業を再開 (画像提供/『天満屋百五十年史』)

岡山大空襲では『天満屋』も全焼しました。

復興は困難でしたが、「戦争がどうなろうとも、人間の生活がある以上、配給活動は必要不可欠である」という経営陣の思いと、「3カ月や6カ月は給料はいらない。なんとか天満屋を再開させたい」という従業員たちが結集し、店舗の灰かきをすることから復興に取り掛かかりました。

そして、大空襲から100日後の10月には店舗の一部で営業再開を果たしたのです。

終戦直後の殺伐とした世の中だからこそ、美しいもの、優れたものに接したいと願う。そんな人々の心に寄り添うため、物販の販売だけでなく、文化催事にも力を入れるようになっていきます。

▲1960(昭和35)年の上之町のアーケード街入口前。後方に『天満屋』が見える (画像提供/「岡山県立記録資料館」)

1948(昭和23)年、まだ修理半ばの4~6階で『日展岡山会場』を開催。東京と京都以外では開かれたことがなかった格式高い美術展に、人々は開店前から長蛇の列をなしたといいます。

1950(昭和25)年からは県下の東洋美術を一堂に集め、国宝や重要文化財も扱う「名宝展」を開催。専門家から高い評価を受け、岡山県文化奨励賞を受賞しました。

戦後、活発になっていた地域の音楽や演劇活動の公演会場が必要とされるようになったことから、『天満屋』は創業125周年記念として文化ホールを建設。1953(昭和28)年、6階屋上に最新の照明と優れた音響設備を備えた「葦川会館(いせんかいかん)」が誕生しました。

▲『天満屋』の文化ホール「葦川会館」の緞帳。デザインは仁科会会員吉原治良氏。天満屋発行『文化催事三十年』のあとがきに「戦後、盛んになった演劇活動を文科省も県教育委員会も助長したが、岡山は地方都市の中でもチャンピオンの位置にあった」とあり、演劇活動が盛んな岡山で当ホールが重要な存在だったとわかる(画像提供/『天満屋百五十年史』)

当時、市内の公演会場は、旧岡山藩主・池田家の寄付により建設された『岡山市公会堂』以外ありませんでした。戦火で傷んだ公会堂はトタン屋根だったこともあり、新ホールは大歓迎されました。

地元の発表の場としてはもちろん、天満屋主催の「芸能友の会」や県主催の演劇教室などで利用。ジャズの夕べ、落語名人会、「文化座」や「宝塚歌劇団」など著名な劇団の公演、人形浄瑠璃や狂言などの伝統芸能など、開催内容は多彩でした。

▲1956(昭和31)年に開催された、人間の愛と尊厳をテーマにした大写真展「ザ・ファミリー・オブ・マン展」。68カ国で撮影された約200万枚から選んだ約500点を展示(画像提供/「岡山県立記録資料館」)

天満屋広報チーム・秋山弥生さんはこう語ります。「注目すべきは、こけら落としのレオニード・クロイツァーのピアノ独奏会です。心豊かな暮らしをテーマに、お金に糸目をつけずに最高のピアノを探したと聞いています。クロイツァーが亡くなる1ヶ月前に弾いた貴重なピアノは、今も現役で残る希少な1台で、寄贈した「旭川荘」で大切に弾き継がれています」。

「戦争で大切な人やものを奪われ、笑うことも忘れてしまったような世の中で、当時の弊社関係者は考えていたと思うんです。空襲で焼野原になった岡山で、生きる喜びにつながることについて何ができるのか、どうやったら明日頑張ろうと思えるか、天満屋は何ができるだろうかと」。

▲「葦川会館」のこけら落としで、ロシア出身の世界的ピアニスト、レオニード・クロイツァーが演奏(画像提供/『天満屋百五十年史』)
▲1955(昭和30)年発足「こども仲よし会」の案内ハガキ。人形劇や児童劇、映画、歌などの催しが毎月あった (画像提供/『天満屋百五十年史』)

「1969(昭和44)年、『天満屋』は店舗を県庁通りに面して増床。バスステーション2階にもレストラン街を設けました。

この時、「葦川会館」は多目的ホールに改装。市内には、1963(昭和38)年『岡山市民会館』、1976(昭和51)年『岡山市民文化ホール』が開館して、文化芸術が充実していきます。

▲広報チームの秋山さん(左)と吉田さん

広報チーム・吉田侑可さんは、「190年以上になる弊社の社史を読むと、知らないことが多くて調べてみると興味深いことばかり。先人たちの思いがあってこそ今があるんだと感動しました」と感慨深げ。

広報チーム・秋山弥生さんは、「先日、劇場のプレイベントとして表町商店街でジャズコンサートがあり、久しぶりに生で音楽を聴きました。周囲の人と一緒に感動して拍手して、とても幸せな時間でした。エンターテイメントがないと心は乾いてしまう。今度は新劇場が、街の中でその役割を果たすのだろうと。歴史を振り返りながら準備を楽しみたいですね」と話してくれました。

数々の困難を乗り越え、文化や芸術の発信で街を元気にしてきた百貨店や映画館。その歴史を見守ってきた表町商店街に生まれる『岡山芸術創造劇場』は、どんな「心の豊かさ」を届けてくれるのでしょう。

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