あたりまえにある身近なあんなものやこんなものに、実はこんな歴史や理由があるのです…。
そんな身近にある何? なぜ?を調べます。
話題の矢掛宿、魅力を深掘り!
2020年に「重要伝統的建造物群保存地区」に指定された矢掛町・矢掛宿。本陣、脇本陣が残る貴重な宿場町で、若い子に人気のカフェもでき、街ぶらスポットとして注目を集めています。そんな矢掛宿のまだまだ知られていない通りの歴史・魅力に迫ります。
矢掛宿の成り立ち。
街が誕生したのは約400年前。
旧山陽道の宿場町として栄えた矢掛宿。石井家の本陣、髙草家の脇本陣と、宿場町たる由縁の建物が両方残る貴重な通りとして知られ、最近はカフェや新施設などもできて、古い街並みや新しい店を楽しめるスポットとして、近年誌面でも取り上げることの多いエリアです。でも、実際のところ、どんな歴史を持つ宿場町なのか、深く知らない人も多いのでは? そこで、矢掛宿ができるまで、できてからをまずは深掘りしてみました。
それには矢掛宿の歴史に詳しい人に話を聞かなくては! ということで訪ねたのは、「一般財団法人矢掛町観光交流推進機構(やかげDMO)」の事務局がある『矢掛ビジターセンター 問屋』。この建物も歴史を感じる施設です。聞くと、輸送を担当する人馬手配を生業にしていた家の建物だそう。話を聞いたのは、「矢掛町観光交流推進機構」の理事長の金子さん。「実はこの通りの周辺に人が住み始めたのはたった約400年前の話なんですよ」と教えてくれました。その前は、近くにある茶臼山に平山城があって、そのふもとに小さな町が形成されていました。その町が江戸の初期に火事で全焼し、1620年に、500mほど西にあった小田川の自然堤防の上に新たな町を作り、現在の通り沿いに人々が住むようになったそうです。
1635年に参勤交代が制度化され、石井家(現在14代目)が本陣職を勤めることになりました。しかし、当初西国のお殿さまたちのほとんどは瀬戸内海の海路を通って大阪経由で江戸に向かいました。山陽道を通って矢掛本陣に最初に泊まったお殿さまは福山藩のお殿さまで、制度ができて100年も経った1738年のことです。以後、本陣、脇本陣、問屋場そして町家が一体となって参勤交代のお殿さまご一行をおもてなしする体制を整えました。ちなみに脇本陣として髙草家が紹介されていますが、脇本陣は世襲制ではなく、特定の期間に脇本陣を勤めた複数の家があり、宿泊施設『矢掛屋』として活躍している建物をはじめ合計6軒が残っています。
参勤交代で、てんやわんや。
本陣も脇本陣も「立派な建物だな~」ということは分かるかと思いますが、さらに深く観賞するために、「矢掛本陣の格の高さが分かるところはどこですか?」と金子理事長に聞いてみました。「まず4本ある8寸(25cm)もの太さの立派な大黒柱。また、建材に硬い木が使われていて、時が経ってもあまりゆがんだりしないんですよ」と教えてくれました。また大名や幕府役人など特権通行者だけが使える「御成門」の屋根は少し丸みを帯びた「むくり屋根」に。丁寧さや低姿勢が示されているという門で、家人が使う入口が別に設けられている点にも配慮が感じられます。本陣職の石井家は酒造業を営んでおり、敷地内には醸造用の蔵や道具も残されています。
本陣の建物内には当時の資料として、大名や幕府役人が泊まったり休憩したりする際に門の前に掲げられる宿札が展示されています。この木札が掲げられる前の、多いときには約1000人(薩摩藩)もいたという大名一行がやってくるという情報が伝わってから、本陣職の石井家の仕切りで、大名、家老、以下家来たちを「誰をどこに泊める?」「食料も調達しなきゃ!」「食事はどこで?」「迎えるために掃除しなきゃ!」
など役割分担、準備を街を挙げて協力したといいます。もう、てんやわんやだったことでしょうね。江戸時代に古い街並みが残る歴史感じる家々で話し合いがくり広げられていたと想像すると、より矢掛宿の存在が印象に残ることでしょう。
街並みの注目ポイントは?
ウナギの寝床のような土地割り。
街を代表する本陣の話をしましたが、そのほか街並みの特徴もいくつかご紹介。そのひとつが、矢掛宿の通り沿いの家は、それぞれがウナギの寝床のような、間口が狭く奥に広い区画割りになっているということ。見学できる『矢掛ビジターセンター 問屋』や『矢掛屋』を奥まで突き進んでみれば分かると思いますが、奥に日本庭園が広がってたり、さらに奥には蔵があったりと思ったより奥行きがあり、表から見るより豪邸です。昔から目の前の小田川がはんらんすることが多く、石でかさ上げされている家があちこちに見られますよ。
通りの歴史や当時の建物の特徴を伺い知ることができる『矢掛ビジターセンター 問屋』。奥にはこんな立派な庭も
水に縁のある土地柄。鬼瓦にも注目を!
川がはんらんする一方、水不足になることも多い土地柄だったとか。そのため、裕福な家では敷地内に井戸を掘っていて、それが今でも残っています。また、水を使う商売として旧本陣の石井家の酒造りのほか、しょうゆなども作られていました。水に縁、といえば、屋根に付いている鬼瓦にも、恵比寿さまや大黒さまなどの縁起もののほかに、カメやシャチ、波など水に関する形をしたものが。また、間口を狭く造るせいか、妻入建物が多く、それが5軒連なる場所もあるほど。整然と並ぶさまが美しいです。場所はカフェ&雑貨の『シーズ藤原家』の辺り。ぜひ見つけてみてくださいね!
街並みに近年変化も。
電柱がなくなって街並みがすっきり。
そんな400年の歴史を持つ矢掛宿。近年大きく変化しつつあります。2018年に矢掛町が、地域に宿や食堂などを点在させ、街全体で宿泊、滞在を楽しめる「アルベルゴ・ディフーゾ・タウン」に認定されました。そしてこの1・2年でも目に見える変化が。そのひとつが…本陣通りの約500mの電柱を地中化。通りすべてとはいきませんが、今年3月より電柱が無くなった通りはすっきりし、より写真映えするスポットとなりました。
街の新たなランドマーク、道の駅。
もうひとつ、街に大きな変化をもたらしたのが、同じく今年3月の道の駅『山陽道やかげ宿』のオープン。水戸岡鋭治さんデザインのスタイリッシュな駅舎はあくまでゆったりと過ごしていただくための町の玄関。食事や買い物はすぐ隣の本陣通りで思う存分楽しめるように導線を作ってます。これは本陣通りの店を含めて「まるごと道の駅」という最新のコンセプトによるもの。駅舎から旧山陽道の本陣通りに向かう道の景観も美しく整えられています。道の駅にクルマを停めて、気ままに歩いて、屋根や鬼瓦、建物を見て、カフェに寄ったり土産を買ったり。おでかけに求められる要素が凝縮されている矢掛宿。まだ行ったことない人は立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
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