《松田光×男子 ソフトボール(平林金属)》19年ぶりのメダルを手に真の日本王者へ。全タイトル制覇目指す!
今年6月チェコで開催された世界大会での銀メダル獲得を受けて急速に注目を集めている男子ソフトボール。地元岡山から日本代表を勝利へ導いた立役者・松田光選手を直撃!
自分で選んだ道ならとにかく面白がって歩き続ければいい。
ソフトボールといえば、これまでの活躍ぶりから女子ソフトボールを連想する人が多いかもしれない。しかし、今年行われた世界大会で男子ソフトボールが実に19年ぶりとなる銀メダルを獲得し、今注目を集めている。そして、その世界大会でも、また岡山に本拠地を置き、昨年主要タイトル4冠制覇と圧倒的な力を見せつけた『平林金属』でも、投打二刀流で獅子奮迅の活躍を見せるのが、松田光選手だ。
ソフトボールが盛んな千葉県に生まれ、小学1年生のとき、少年チームに入った。中学時代は環境がなくやむなく野球部に所属したが、その後念願の地元強豪高に進学。今でこそ輝かしい実績を持つ松田選手だが、順風満帆の競技人生を歩んできたわけではない。関東屈指の男子ソフト強豪校・千葉敬愛高校に推薦入学を果たしたまではよかったが、当時決して恵まれた体格ではなかった松田選手に、活躍の機会はほとんど巡ってこなかった。3年生の引退後、部員11名で迎えた高校選抜大会のことは、今も忘れられない。大会出場も危ぶまれるギリギリの部員数であったにもかかわらず、ベンチに居座り続けたのはチームでたったひとり、松田選手だけだった。けれど、それでも松田選手は、かつて自分が目指した舞台にいられることがただただうれしかったという。たとえマウンドに立てなくても、バットが振れなくても、笑いあい、励ましあえる仲間と一緒にいられるだけで幸せだった。
勝利への執着心が芽生えたのは、大学に進学してからのことだ。入学して間もなく突然球速が伸びはじめ、それまで100キロがやっとだった球速が大学生投手トップクラスの120キロまでアップ。その後、国体出場時のチームメイトからマウンド上の駆け引きを学んだことで、ゲームメイクの面白さも知った。もともと球速の不利を補うため多彩な変化球を身に着けていた松田選手は、試合を操れるまでに急成長。大学卒業後『平林金属』に籍を移すとその勢いはさらに増し、エースとして10年間、チームの飛躍をけん引してきた。
けれど、国内では右に出る者なしとなった松田選手にも、なお越えられない壁があった。『平林金属』所属4年目から挑み続けてきた「世界男子ソフトボール選手権大会」だ。日本代表の戦歴で見れば5大会連続で5位止まり。順位は変わらずとも、その壁は回を重ねるごとに高く険しくなっていた。今年33歳を迎える松田選手にとっては、なおさらだ。ともすればこれが最後の世界大会になるかもしれない││そんな思いがまったくなかったとは言い切れない。
ただ、そんな中にもひと筋の光はあった。というのも、今回代表入りしたチームメイトの半数が、世界大会初召集の若手選手。ベテラン選手たちが幾度となく目の当たりにしてきた力の格差も「4強の壁」も見えていない若手の経験の不足は、リスクであると同時に、うまく波を作れば武器になる。そう思った瞬間、松田選手の中に持ち前の「楽しみグセ」がよみがえった。そうだ、どうせ戦うなら思い切り楽しめばいい││。
そして、その松田選手の狙いは、ほぼ的中した。チームの雰囲気は今まで以上に活気に満ち、直前に行われたテストマッチで強豪のニュージーランド、オーストラリアに勝利した勢いのまま世界大会予選リーグに突入。7戦全勝という最高の結果を残して決勝トーナメントに駒を進め、初戦・ベネズエラ戦を完封。見事「4強の壁」を突破し、決勝トーナメント・セミファイナルでも王者・ニュージーランドを撃破。最終決戦となったアルゼンチン戦では延長10回の末2対3と惜敗したが、日本男子ソフト界にとっては19年ぶりとなる銀メダルを手に入れた。
悲願達成のニュースは、日本男子ソフトボール界のみならず、4選手を送り出した地元・岡山にも熱狂と興奮をもたらした。そんな中、松田選手はすでに次なる挑戦へ照準を移している。見据えるのはもちろん、国内の主要タイトルのうち昨年唯一取りこぼしてしまった「全日本総合選手権」のタイトル。この大会が、今年9月に地元岡山県で開催されるとあって、早速リベンジすべくボルテージが上がっている。「世界4強の壁」を打ち破った日本代表の4選手を擁す『平林金属』に、「全タイトル制覇の壁」が越えられないはずはない。メダリストのプレッシャーなどはない。自分の選んだ道をとことん楽しみ切るために、松田選手はただひたすらに勝利を追い続ける。
(タウン情報おかやま2019年9月号掲載より)