ターニングポイントは「京橋朝市」が始まった1988年?! 表町商店街のルーツを掘り起こし、地域振興に力を注いできた、ある店主の想い。
2025年が始まりました。今年はどんなお正月でしたか? 取材班は年の瀬となる2024年12月29日に、旭川にかかる京橋の河川敷で36年間毎月開かれている名物市「備前岡山 京橋朝市」に行ってきました。そこで正月用品をゲット! 旭川が朝日にきらめいて、きれいでした。
表町商店街の南端、千日前のニューシンボル『岡山芸術創造劇場 ハレノワ』は開館3年目に突入します。
そこからほど近く、同商店街・西大寺町で120年以上前に創業した紳士洋品店『大島屋』の4代目を引き継いだのち、1988年に喫茶店『MOTHER OF 306』を開いたのは大島正勝さん。
「『大島屋』は、県下初の紳士洋品店。その頃はまだ百貨店もなく、ほとんどの人が着物を着とった時代。うちの商品はみんな、大阪と東京から直接、純国産の一流のものを仕入れとった。親父が県庁や市役所、学校とかにも営業に回って販路を増やしたんじゃ」と語ります。
家業の創業は1902 (明治28)年。大島さんは、戦争が終わる直前の1945(昭和20)年、岡山大空襲で表町商店街が焼け野原になった6月に、母親の実家(赤磐市)で生まれました。大学時代は東京で学びましたが、父親が病に倒れ、卒業後すぐに岡山に戻って4代目を継いだそう。
「僕が28歳で町内会の役員になった時、表町商店街の8つの町内会全体でやるイベントの相談を高齢者ばかりでやっていて、話がなかなか進まんかった。それなら、せっかく若い人がおるんじゃから、表町の青年部を作らせてほしいとお願いして。若い人に呼びかけたら、130人も参加したんじゃ」。
「そこから販売促進委員会とか、企画委員会とかも立ち上げていって。地域を盛り上げるすごい力になった。『大島屋』は3店まで増えたけど、流通がおかしゅうなってきたのを感じて1988年に閉店。その年の4月に、創業地に喫茶店を開いたわけよ」。
実はこの1988年9月に、第1回「京橋朝市」が開かれたのですが、大島さんはその仕掛け人でもあるんです。朝市が始まった年から一昨年まで35年間、実行委員長も務めていました。
「青年部の広いネットワークが見込まれ、当時の岡山県の長野士郎知事から、県内の農産物の発表の場として朝市をやってくれんか、と声をかけられて…。そこで、朝市の場所に京橋を提案したんじゃ」。
「もともと表町商店街は、岡山城の城下町。その昔、京橋は、山陽道でもあった表町商店街の玄関口じゃったんよ。京橋はこの地域の商いの原点だということを、地元の人でさえ、忘れかけとったんじゃ」。
表町で育ち、國學院大学で考古学を研究していた大島さんは、地元の歴史を掘り起こして地域活性化につなげたいという想いを強く抱いてきたのです。
「京橋は山陽道が通り、旭川を下ってくる高瀬舟や海から訪れる船の船着き場もあって、水陸交通の要じゃった。江戸時代は橋の周りに魚市場や青物市場ができて、岡山の台所になって。明治時代もかなり栄えとったらしい。
その歴史を地元町内会の皆さんに話して『この地で朝市をやりましょう!』と説得するのに1年半かかったんよ」と、喫茶店の開店準備とともに朝市開催に奔走した大島さんは笑います。「若かったからできたのよ」と、傍らで妻の米代さん。
若手にバトンタッチした実行委員会は、地元の町内会を中心としたボランティアで構成され、精力的に活動しています。「京橋朝市」の日は早朝5時から10時頃まで、約90~130店のテントがずらり。県下各地の野菜や果物、魚介などの産物や、個性の光る手作りグルメなどが販売され、今や全国トップクラスの朝市に。県内外の朝市のお手本にもなってきました。
さらに、大島さんが喫茶店をオープンさせた1988年、現在の『ハレノワ』のすぐ北側に、大衆演劇の上演館『岡山千日劇場』も誕生しました(2007年閉館)。
「当時は店を開けたとたん、モーニングを食べる人で満席になって…。それはもう、すごかった! 大衆演劇を見に来た人が劇場の場所取りのために、ここで開演時間まで待っとったんよ。一万円札をつないで、役者さんの首にかけるレイを作ったりしながら…」。
「舞台の後は、役者さんもファンと一緒に来とったな。映画館帰りの人や近所の店主も来てくれたし、夕方は近くにたくさんあった飲み屋のママさんが開店前に寄ってくれて…。あの頃はピークが一日に4回あった(笑)」と正勝さん。
二人三脚で店を営んできた米代さんも懐かしそうに回想します。「劇場に出前を持って行ったら、たまたま舞台から役者さんが戻ってきて。衣装を脱いだ時におひねりがバラバラ落ちて、それをお付きの人が袋を広げて受けていたんです」。
「びっくりしました(笑)。あの頃、劇場に来ていたお客さんたちは、観劇が年金生活の大きな楽しみになっていたんでしょうね。千日前は映画館街でしたけど、大衆演劇は映画を観るよりも、知らない人同士が仲間になりやすい存在だったのかもしれません」。
当時、劇場の周辺にはそんなファンが朝から訪れ、大盛況の喫茶店が多かったとか。
「今は、店のすぐ西側にある路面電車の電停(西大寺町・岡山芸術劇場ハレノワ前)を利用して『ハレノワ』に行く人が増えたんよ。店の前を通る人も美人さんが増えとるな(笑)。店に寄ってくれる人もいるしありがたいです。もちろん僕も『ハレノワ』に行っとるよ。舞台を見るたびにたくさん感動と元気をもらってます」と、正勝さん。
そして、「無理をせず、続けられるところまで、この店を頑張りたいと思ってます」と目を細めます。大学の同級生として出会った夫妻は、今年そろって人生80周年を迎えます。今まで通り、仲よく表町で歴史を刻みながら。
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