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岡山芸術創造劇場 ハレノワ ~カウントダウン♪ 千日前から

深~い! 新劇場「岡山芸術創造劇場 ハレノワ」と千日前の誕生物語vol.27

変わる街をウォッチング。岡山芸術創造劇場 ハレノワ ~カウントダウン♪ 千日前から

  • 情報掲載日:2024.04.03
  • ※最新の情報とは異なる場合があります。ご了承ください。

「琉球舞踊と組踊」関連企画!!

「国立劇場おきなわ」芸術監督による、世界に誇る沖縄伝統芸能のワークショップ。

わいわい人が集えば、三線(さんしん)を弾き、歌い、踊って…。
沖縄では、芸能はおもてなしの大切なツールになってきました。
そのルーツは、1429年に沖縄の地に成立し、約450年間続いた琉球王国で独自に育まれた王朝文化にあったのです。

▲琉球舞踊の「古典舞踊」のジャンルのうち、老人踊(老人の扮装で祝宴や舞台の始まりなどに演じる踊り)に属する「かじゃでぃふー」(かぎやで風)。「今日の誇らしさは何にたとえよう」と歌い、踊る。『ハレノワ』での特別公演でも冒頭で上演(提供:「国立劇場おきなわ」)

2024年1月下旬、『岡山芸術創造劇場 ハレノワ』の開館事業「国立劇場おきなわ特別公演 琉球舞踊と組踊(くみおどり)」(2024年2月11日上演)に先駆けて、岡山市内の後楽館中学校で関連ワークショップが開かれました。
講師を派遣したのは、多彩な沖縄伝統芸能の保存振興活動を行う『国立劇場おきなわ』。
「国立劇場おきなわが」が沖縄県外で開くワークショップは年に1回だけとのことで、子どもたちの貴重な体験となりました。
琉球舞踊と組踊は国の重要無形文化財に指定され、組踊はユネスコの無形文化遺産にも登録されているんです。

▲能の演目「道成寺」の影響を受けたとみられる組踊「執心鐘入」の前半。美少年の中城若松(右)が、首里城に奉公に行く道中、一夜の宿をお願いした家の女(左)に言い寄られる(提供:「国立劇場おきなわ」)

今回はこの、『国立劇場おきなわ』の芸術監督・金城真次さんが解説するワークショップを通して、沖縄伝統芸能の世界をのぞいてみましょう。
「組踊は演劇の一つと思ってください。琉球古語で唱えるセリフ、琉球楽器で生演奏する音楽、琉球舞踊の様式を用いた演技、の3要素で構成されています。初上演されたのは、今から300年以上も前。これは、何のためだったのでしょうか。昔、琉球国王の代替わりの際は、新国王を任命する目的で、はるばる中国から使者である冊封使(さっぽうし)が船で訪れ、王冠などを届けたんですね。ところが、冊封使たちは中国に戻る時に逆風が吹くと、半年間は帰れない。そこで、客人が飽きないよう、王宮でもてなすために生み出されたのが、琉球舞踊と組踊なんです」と金城さん。

▲組踊「執心鐘入」の後半。宿の女に言い寄られて危険を感じた中城若松は寺に駆け込み、鐘の中に隠れるが、追ってきた女が鐘にまとわりつき、鬼女に変身。座主と小僧たちは法力で鬼女を退散させる(提供:「国立劇場おきなわ」)

そう。王朝文化のなかでも、とりわけ外交の切り札となったのが舞台芸術だったのです。
王宮では踊奉行(おどりぶぎょう)が、公務として芸能を担っていました。
琉球舞踊が冊封使に披露されたのは、組踊よりもさらに200~300年も前からとか。
当初は「御冠船踊」(おかんせんおどり)と呼ばれ、後に「古典舞踊」として発展します。

▲玉城流扇寿会(古典舞踊)の師範でもある金城氏が、琉球舞踊の「雑踊」のひとつ「加那よー」を披露。愛しい人に向けて「愛の印の手ぬぐいを織って差し上げましょう」と歌いながら奏でる、歌三線も心地いい

1879年、沖縄県が設置されて、首里城が日本政府に明け渡されました。
演じる場を失った元士族たちが、芝居小屋で琉球舞踊や組踊を披露するようになり、おもてなしの芸能文化は庶民にも広がっていったのです。
琉球舞踊のジャンルは「古典舞踊」をはじめ、王朝時代末期の庶民の生活を描いた「雑踊」(ぞうおどり)、主に戦後の舞踊家たちによって作られた「創作舞踊」の3つがあります。

いっぽう組踊は、「もっと飽きない工夫を」と、踊奉行だった玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)が歌舞伎や能、狂言などの大和芸能や、中国の演劇からヒントを得て創作。
琉球舞踊の一部として、1719年に冊封使の前で「執心鐘入」(しゅうしんかねいり)など2本が上演されたのが始まりとか。

▲組踊の若衆(少年)の唱え(セリフ)として実演した、「執心鐘入」の中城若松の唱えは一音一音のびやかでリズミカル。中学生も復唱にチャレンジした。ちなみに、後で実演した「女役(大人の女性)」の唱えは、もっとゆっくりで曲線的

「組踊は、セリフの唱え方が独特。8・8・8・6の音数で、年齢や性別、身分など役柄ごとに異なる旋律にのせて唱えます。伴奏の音楽は、歌いながら三線を演奏する『歌三線』をメインに、笛、琴、胡弓、太鼓も使います。奏者は、首里城に勤めていた士族の正装姿なんですよ。そして、その演技には古典舞踊の様式を取り入れ、あえてリアルな表現を避けています」。

では、演技に踊りの様式を入れるとは? これは今も沖縄の祝宴に欠かせない古典舞踊「かじゃでぃふー」(「かぎやで風」の方言)の実演&解説で納得できました。

「祝い事の踊りなのに、けっこう暗いと思いませんでした?(笑) うれしい時は笑うのではなくて正面を向き、悲しい時は顔を微妙に下に向ける、というふうに顔の角度で気持ちを表す。最小限の動きで表現するんですね。…組踊も同じです」。

実際、組踊「執心鐘入」の鬼女の大立ち回りでも、演者は決して走らない。
あくまでも背筋を伸ばし、そろりそろりと歩く…。
その喜怒哀楽を抑えた演技は堂々として、外交を支えた王朝文化の誇りと格調の高さが漂っています。

▲ワークショップ後、琉球王族に愛された「紅型」(びんがた)染めのあでやかな衣装や小道具、三線などに触れる時間も。熱心に見入っていた女の子は小学生の頃から琴を習っているとか。着物姿の講師は左から金城氏、唱えなどを実演した伊藝武士氏、歌三線を実演した和田信一氏

参加した後楽館中学校の生徒からはこんな感想が届きました。柔らかな感性に脱帽です。

・「会えて嬉しい」という踊りの最後の方の振付が、咲いている花を表現しているのかなと感じました
・同じ日本でも、昔の沖縄の言葉は全然違った。小さい「ゆ」「う」とかが多かった
・生で聴けた三線の音色が美しくてとても好きです
・一つ一つの動作がきれいで、姿勢をずっと保つのはすごいなと感じた   etc…

ワークショップの後、飛び出したこんな話が印象的でした。
「沖縄では、当たり前のように民家に三線があったり、『かじゃでぃふー』を踊れる人が多かったり…。以前、劇場計画コンサルタントとして沖縄に通っていた頃、招かれた家庭でよく、歌や踊りでもてなしてもらったんですよ」と、同席していた『ハレノワ』の草加叔也前劇場長
傍らで金城さんもうなずきます。
「私の家にも、三線が弾ける祖父がいました。私自身、琉球舞踊を4歳から現在(36歳)まで習っていますが、長いと感じたことはなくて…。沖縄では芸能が日常生活の一部なので、自然体でできるんですね」。
沖縄の伝統芸能は、庶民の生活に浸透することで長い間守り、伝えられてきたのかもしれません。

『ハレノワ』では、演劇やダンスの創作を行うアーティストを学校に派遣し、ワークショップを通して舞台芸術への理解や関心を深める事業を展開していくとか。
どんな化学反応が起きるのか、ますます楽しみです。


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