『ハレノワ』に出かけたら、そばにある城内(しろうち)エリアの歴史遺産も巡って。
岡山愛は、「城内エリア」と青山融氏と岡山弁から。
2024年に入り、『岡山芸術創造劇場 ハレノワ』は、すっかり岡山の街に馴染んだ印象です。
今回は、『ハレノワ』のある岡山市内表町など中心部のなかで、歴史遺産が多い「城内エリア」に注目したいと思います。「城内エリア」は、おおよそ岡山城のかつての堀の内側にあたる一帯のことです。
この「城内エリア」に詳しいのが、岡山弁に関する著書で知られる、『タウン情報おかやま』2代目編集長・青山融氏。日々、会社の往復の中で、昔の痕跡を記した手書きの地図をコツコツつくっていて、それをもとに『歩いて回ろう! おかやま 城内エリアの歴史遺産』(発行/NPO法人「元気創生プロジェクト あしたり岡山」)を2012年に制作しました(岡山県立図書館で閲覧、貸出可)。
「岡山市は、約400年前に築城された岡山城の城下町を基礎にして発展してきました。市街地を散策してみると、小さな神社やいにしえを偲ぶ大小の歴史遺産があります。城内エリア一帯の神社や石碑などを巡ると、江戸、明治、昭和、平成、令和と変わっていきますが、時代が積み重なって現代があることがわかります」。
「『ハレノワ』の近くでいうと、江戸時代に山陽道(表町商店街)から二の丸へ向かう大手道にあった大門跡や、時鐘を継げとった鐘楼堂跡。1847(弘化4)年にかけ替えられた京橋の渡り初め式の様子の碑。ユニークなものでいうと、1785(天明5)年に世界で初めて飛行機を作って飛んだ鳥人幸吉の顕彰碑やこもあります。ぜひ巡ってみられぇ」と青山氏。
「『タウン情報おかやま』編集室のある内山下も城内エリアで、岡山城下で家老や重臣の屋敷が集まっとった地域じゃった。岡山城の本丸を中心に、二之丸まで含めた周囲一帯が内山下と称され、本丸北部は昭和後期に丸の内として分割されたんよ」。
「岡山藩で藩政に腕をふるった陽明学者・熊沢蕃山の屋敷跡や、日本三大敵討ちのひとつ『血闘鍵屋の辻』の発端となった渡辺数馬の屋敷跡などもありますよ」。
ちなみに青山氏のお気に入りスポットは大正時代、内山下の岡山城二之丸跡に建てられた旧日本銀行岡山支店だった『ルネスホール』。2005年の改修は青山氏の同級生・佐藤正平氏が担当したのだとか。「裏庭のテラスでよう休憩しとったな。私の大好きな場所じゃ」。
1873年の電信発祥地や、国産車第一号を製作した山羽虎夫顕彰碑など近代化の足跡も興味深いスポットです。
「『ハレノワ』ができたことが刺激になって周辺はどんどん変化しとる。今年は『城内エリアの歴史遺産』マップの改訂版を作ろうゆう話も出とります。数年前まで夫婦で『市民劇場』に入っとって、当番でお世話係をしたこともあるけど、毎月いろんなジャンルの舞台が見れて意外な発見もありました。『ハレノワ』にゃあ、ええ公演がどんどんきょうるけぇ、はよう見い行きてぇなぁ(笑)」。
そう。青山氏といえば、この正統派な岡山弁。なので、その話を少し。
歴史遺産と同じように、岡山で青山氏が保存・普及したいと考えたのが「岡山弁」です。
青山氏は30歳まで東京に住み、ついつい会話に岡山弁が出てしまったので、青山じゃなく「岡山さん」とよく呼ばれていたそう。
「大学時代に住んどった東京の学生寮では、みんなわざと出身地の方言をしゃべっとったけぇ、いろんな地方のお国言葉が飛び交っとったんじゃ。せぇで私の岡山弁愛が育まれたんじゃろう」。
この頃すでに、周囲の人に岡山弁を教えてあげるために岡山弁文法の本を作りたいと考えていたそうです。
青山氏は、中学時代から、社会科の自由研究を機に古墳巡りが好きになり、母親の影響でミステリー好きに。「JTBの『旅』編集部時代は、私ほどミステリーを読んどるスタッフはおらんかったから、ミステリー作家に紀行文を依頼する際は私が担当させてもらえたんです(笑)」。
プライベートでは横溝正史が疎開していた真備町の家を発見・紹介し、金田一耕助の姿に仮装して練り歩くコスプレ・イベントの実現に協力した。
結婚後、岡山にUターン。『タウン情報おかやま』編集長として、読者の声を生かした特集、読者に募った料理レシピや店の情報、カップルの紹介、一般人の人気投票、読者コーナーなどに力を入れました。ページの欄外にまで、読者からの投稿が詰め込まれていました。
「今の私の岡山弁活動は、読者から届いたハガキのネタがヒントになったものが多い。岡山弁の特集や、読者コーナーに生まれた岡山弁講座のコラムへの反響が想像以上に大きゅうて、読者投稿から岡山弁ネタの名作・傑作が次々出てきて、でぇれぇ盛り上がったんよ」。
特に印象的だったのが、「でーれー、ぼっけー、もんげー論争」。どれも、「すごい」という意味の岡山弁なのですが、どれを使うか、どう使うかが問題になりました。原級がでーれー、比較級がぼっけー、最上級がもんげーだという人もいれば、でーれーしか使わんと言う人、ぼっけーしか使わんという人など、千差万別でした。もんげーを使う人は少数派でしたが確かに存在していました。とにかく盛り上がったネタでした。
こうして集まった岡山弁ネタから探求を重ね、別冊『岡山弁会話入門講座』を発行。以来、岡山弁がテーマの講演や、映画『バッテリー』や『釣りバカ日誌』『でーれーガールズ』などの方言指導にも呼ばれるように。「岡山弁協会」2代目会長となって活躍しました。
「絶滅寸前の岡山弁もあり、保存活動は大切じゃ。私の好きな岡山弁は、たとえば『けっぱんぢいてひょろどうた』(つまづいてよろけた)とか『ぞんぞがちいたで』(ぞっとしたぞ)とか、ぎょうさんあるで。何となくマイナス・イメージの単語やフレーズが岡山弁にゃあ多いんが謎じゃけどな」と青山氏。
さて、何が一番伝えたいかといえば、「人が街をつくり歴史をつくる」ということに尽きます。
『ハレノワ』に出かけたら、そばにある城内エリアの歴史遺産も巡ってみてください。
もちろん岡山弁を話しながら巡れば、岡山愛もますます育つというもの。
<消費税率の変更にともなう表記価格についてのご注意>
※掲載の情報は、掲載開始(取材・原稿作成)時点のものです。状況の変化、情報の変更などの場合がございますので、利用前には必ずご確認ください