『ファジアーノ岡山』について熱く語った初めての夜。
ファジアーノ岡山は2021年7月13日に、株式会社化して15年を迎えました。あっという間だった感じもありますが、改めて思い返すとさまざまな思い出が蘇ってきます。
私も入社して13年が経ちましたので、今回は少し思い出話しをしたいと思います。
『ファジアーノ岡山』の入社面接で岡山を訪れたのは、2008年の夏。30歳の時のことでした。
昼前に岡山駅へ到着し、当時岡山商工会議所にあった事務所や、ドレミの街(現・イコットニコット)のフットサルコートを案内して頂きました。
その日の夜、木村前代表と池上前GMと夕食をご一緒したのですが上座に座らされてしまい、その目の前には木村さんと池上さんが座っているという、ものすごい威圧感のなかで食事をしたことを覚えています(笑)。
ただ会話は非常に面白く、これからの『ファジアーノ岡山』について熱く語り合う2人に魅了され、終始興奮して話を聞いていました。
気づいたら夜中の2:30を過ぎていたのですが、「それじゃ明日7:45集合ね!」と言って2人は帰っていきました。
お世話になっているお店を4軒ほど回ったのですが、当時は今よりも10歳以上若かったこともあり、深夜の2:30までお酒でつぶれなかったことが入社の決め手のひとつになったのだと、今でも信じています。
サポーターの方から怒られて。
2008年、当時JFLだったファジアーノ岡山は天皇杯で、Jクラブの『ヴァンフォーレ甲府』に負けてしまいましたが、その時甲府に所属していて得点を決めたのが岡山県出身の大西容平選手で、今では『ファジアーノ岡山』のアカデミーで子どもたちの指導をしてくれています。
また『ニューウェーブ北九州(現・ギラヴァンツ北九州)』とのアウェイ戦では、ゴール裏でサポーターと一緒に声を出して応援しましたが、「北川! 声が出てない!!」とサポーターの方から怒られたんです。
それも今では非常にいい思い出で、「サポーターも選手以上に戦っている」んだと実感できた出来事でした。
「社長になる」覚悟を決めた1カ月間。
Jリーグへ昇格してからは、「Jリーグ初勝利」「東京V戦の逆転勝利」「チケット売り切れで満員のスタジアム」「初のJ1昇格プレーオフ進出」などなど…。皆さまと一緒に思い出を積み重ねてきました。
いずれも本当に大切な思い出ですが、ひとつ個人の観点で上げるとすれば、2018年の3月の出来事かもしれません。
木村前代表の退任と私の社長就任のご挨拶で、朝は木村さんの自宅へ迎えに行き、夜遅くに木村さんを送り届けるという1カ月間でした。
送り迎えを嫌う人でしたが、効率を考えると仕方ありません。
ここまで密に行動をともにすることもなかったですし、あらゆることを吸収できるのは、もうこの一カ月間しか残っていなかったので、車内では出来る限りの質問責め。私にとっては非常に濃密な時間となりました。
「社長になる心構え」も、ここで出来たのだと感じています。
20年目に向けたバトン。さらなる「子どもたちに夢を」!
今年で社長に就任して4年目ですが、そのうち2年はコロナ対応に追われています。
選手や監督・コーチだけでなく、スタッフ全員が必死に戦ってくれています。この経験を糧に、現状を乗り越え、そしてさらに強いクラブにならなければいけません。
株式会社となってからの15年間もそうですが、株式会社化する以前からお世話になった方々への恩返しは、今まで関わられた方々から預かったバトンを次の世代へしっかり渡していくことだと思っています。
コロナであろうがなかろうが、「子どもたちに夢を!」の理念を忘れずしっかりとした土台づくりを行い、100年後の岡山の子どもたちへバトンをつないでいきます。
今度は20周年に向けて、これまで、これから、そして現在関わってくださる皆さんとともに、まだ見たことのない景色をみれるよう、歩みを進めてまいります。
ともに、新しい未来を作っていきましょう!!
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