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《上松俊貴×ソフトテニス》ソフトテニス界に現れた前衛の逸材が日本の未来を一身に背負う。

THE VOICE OF ATHLETE

  • 情報掲載日:2020.05.14
  • ※最新の情報とは異なる場合があります。ご了承ください。

《上松俊貴×ソフトテニス》ソフトテニス界に現れた前衛の逸材が日本の未来を一身に背負う。

海外をルーツに、日本で発展したソフトテニス。マイナースポーツとやゆされながらも130年以上もの歴史を紡いできたこの競技において、まさに今、大きな足跡を刻まんとする選手がいる。それが今回の主役、上松俊貴選手だ。日本ソフトテニス界の歴史に名を残す偉業へと挑戦する、彼の軌跡を追う。

夢人
上松俊貴 TOSHIKI UEMATSU
1998年6月11日生まれ、岡山県岡山市出身。早稲田大学所属。身長181㎝、右利き。ポジションは前衛。6歳からソフトテニスを始め、小学~高校生時代は、各全国大会を制覇。15歳でナショナルチーム入りを果たしたソフトテニスの申し子。

地味でも、泥くさくても、勝利へとつながる鍵は基礎技術の上にある。

 父親が競技経験者、兄が地域の少年団に所属していたこともあり、上松選手にとってソフトテニスは幼い頃からなじみ深いスポーツだった。小学校1年生の頃からジュニアスクールに通い、平日は放課後から夜8時まで、休日は朝から夕方まで練習に明け暮れた。時には、友だちと遊びたいという年相応の思いから、「辞めたい」と口にすることも。それでも競技から離れなかったのは、何よりソフトテニスが楽しかったからだという。小学校5年生のときには「全国小学生大会」において団体優勝を、翌年には団体優勝のみならず個人でも優勝を飾るなど才能を発揮。より高みを目指すため、強豪校として知られる岡山理科大学附属中学校へと進路を決めた。

 中学校の部活は付属高校と合同で行っていたため、1年時から高校3年生の球を受けることも多々。球のスピードや重さ、体格も同学年のライバルたちとは格段に違う。そんな高校生を相手に日々練習を重ねた成果が、「全国中学校大会」2年連続個人優勝という形で実を結んだ。そして中学3年生の12月。後の競技人生に影響を与える一番の転機が訪れる。中学生としては快挙といわれている、ナショナルチームへの選出だ。「全中」2連覇に加え、高校生に通用するほどのポテンシャルの高さから将来性を見込まれた。「驚きも喜びもありましたが、チームでやっていけるのか、本当に不安だった」と、当時を振り返る上松選手。翌年2月に行われた、精鋭ぞろいのナショナルチームの強化合宿は「ついていくのがやっとという状態」と、苦笑い。技術面はもちろん、フィジカルにおいても、筋肉量、バランス、跳躍力、そのすべてにおいて、トップ選手たるゆえんを見せつけられたという。トップ選手とのレベルの違いを身をもって体感したにも関わらず、萎縮するどころか体のケアやトレーニング方法にはじまり、試合前の睡眠時間や試合に合わせて食事をとることなど、貪欲なまでにさまざまな知識を吸収できたのは、さらなる高みを目指す彼の意思の強さゆえ。合宿での経験は、「競技に対する意識や向き合い方がこれまでとは一変した」と語るほど、今後の競技人生において大きな糧となった。

夢人
持ち前の高身長を生かし、相手選手へ強いプレッシャーを与える前衛を担当。感性に身を任せ、その場その場に応じてプレイスタイルを変える直感型選手のため、対戦相手からは「攻略しにくい」と称されることも

 数々の大会で目覚ましい活躍をみせる裏では、スランプもあった。「自分の中で一番勝てなかった時期」と苦々しく振り返る高校1・2年生の頃だ。インターハイでの活躍に期待が寄せられていたが、結果は振るわず。両年ともに決勝戦に駒を進めることはなかった。プレッシャーもあり、勝利への渇望が強すぎて空回りし、自分らしいプレイができなかったことが敗因だ。「好きでソフトテニスをやっている以上、本人が一番楽しまないといけない。自分が楽しかったら自ずと結果がついてくるし、観ている人も楽しめるんじゃないか」と意識を改めた。自身の課題を洗い直し、強い選手になるために基礎をしっかりと固め直した。そして迎えた高校3年生の最後のインターハイ。地元岡山開催というプレッシャーをはねのけ、優勝という有終の美を飾った。勢いそのままに、ナショナルチームの一員として出場した「アジアソフトテニス選手権大会」では、高校生として日本初となる金メダルを勝ち取った。

夢人
卒業後はプロ活動を視野に入れているという上松選手。「育ててもらった岡山に恩返しができるようプロとして活躍し、自分が先輩にしてもらったように、小さな子たちの道を切り開くような存在になれたらうれしいです」

 ソフトテニスの名門と称される早稲田大学に進学後も怒とうの快進撃をみせる。「全日本学生選手権大会」での団体優勝、「アジア競技大会」でのミックスダブルス銅メダル、国別対抗戦銀メダル獲得。さらに「東京インドア全日本ソフトテニス大会」2連覇など、輝かしい記録は増すばかりだ。上松選手にとって大学生活が残り一年となる今年は、大学生の頂点を制す最後のチャンス。「全日本選手権大会3連覇、国際大会での金メダル獲得も目指していますが、まずはインカレ(全日本学生選手権大会)での個人優勝と、部のキャプテンとしてチームを優勝に導きたい」と目標を掲げる。「今までの結果に満足せず、国内外できっちり勝ち星を挙げられるよう、甘えを捨てて練習に打ちこむだけです」と意気込みを語ってくれた。全日本学生選手権大会を制し、大学生活集大成を飾れるか。小学生時代から大学生まで、そのすべてのカテゴリーにおいて全タイトル制覇となるか。日本ソフトテニス界前人未到の偉業に向けて若き王者は牙を研ぐ。

(タウン情報おかやま2020年5月号掲載より)

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