「ハレノワ」で大好評を得た音楽劇『死んだかいぞく』と、岡山生まれの俳優・脚本家・演出家のノゾエ征爾に注目。
2024年8月、「岡山芸術創造劇場 ハレノワ」で、子どもも大人も楽しめる音楽劇となって上演され大好評を得た音楽劇『死んだかいぞく』。原作は絵本『死んだかいぞく』(下田昌克著)でドクロマークが描かれた表紙を開いたとたん、海賊が刺され海の底へと沈んでいくシーンから物語が始まります。
衝撃的な展開ですが、実は生命賛歌にあふれた物語です。海賊が身につけているものは次々と魚たちに奪われ、命の一部になっていくのです。舞台では、その一つひとつにまつわるエピソードが新たに加わり、ユーモラスに描かれました。
この原作に惚れ込み、舞台化を発案、脚本・演出を手がけたのは、独創的な世界観が注目されている岡山にゆかりのあるノゾエ征爾さん。
『死んだかいぞく』の舞台演出も絵本に負けず型破りで、観客が会場に入ると舞台上に配置された巨大なタイトルの文字が、表紙のごとくお出迎え。役者が登場したとたん、その一文字ひと文字はテーブルやハシゴ、ゆりかご…と、目まぐるしく役目を変化させていきました。
「文字だったものが文字じゃないものに。絵本だったものが絵本じゃないものになっていく…。ひとつのものが多面的な力を発揮していくのが面白いと思っています。まずは大人の自分たちが面白いと感じること。子どもに媚びるんじゃなく、『子どもも楽しめる』という感覚を大切にしていきたいですね」とノゾエさん。
そう考えるようになったのは、師匠である松尾スズキ著のブラックユーモアに満ちた絵本『気づかいルーシー』の舞台化(2015年初演)の際、脚本・演出を担当した経験が大きいのだとか。
「子どもって、僕らが思ってる以上に感性が鋭いから、表現を幼稚にするのはよくないと思っています。子どもの方が自由にチューニングを合わせてくれるから」。
子どもの持つ感性をリスペクトするノゾエさん。自身はいったい、どんな子どもだったのでしょうか。「僕は小学2年生の頃から兵庫県に住み、母の実家がある岡山にもよく来ていました。祖父母が営む化粧品店があった表町商店街で遊ぶのが大好きだったんです」
「デパートの屋上にあった遊園地とか、祖父母の店のビルの屋上でもよく遊んでました。おもちゃも豊富ではなかったので、自分でいろんなゲームを考えたりするのが好きで。小学校の物語を書く授業も楽しかったです」
「この前、実家から小学 3 年生の頃に書いた絵本の画像が送られてきて。山の三兄弟の話(たしか「日本の山兄弟」みたいなタイトル)で、自分でもちょっと感心しちゃうような話でした(笑)。富士山と桜島と、思い出せないけどもうひとつどこかの山の3つの山が、活火山だった頃からの話で、兄弟喧嘩したり、人間の戦争を眺めたり、兄弟が死火山になったりとか、壮大な話でしたよ。高学年では、学芸会で脚本や演出みたいなことを担当したり。まねっこするのが好きで、パントマイムやダンスもそれで得意だったので、自分の得意技を盛り込んでましたね(笑)」
「中学時代は、部活と勉強で必死だったけど、高校ではバンドを組んでベースを弾いたり、自分の詩集を作ったりしてました。詩のジャンルは、ファンタジーや思春期の心の叫び、寓話的な詩も。当時からカラーが一貫してなかったんですよね(笑)」。
「大学受験で一浪してる間に『シアターテレビ』という番組で現代演劇を初めて観て、野田秀樹さんや三谷幸喜さんの作品とか、すごく面白いと思った。大学に入学したての頃、演劇研究会の新入生歓迎公演を観に小劇場に行ったら、劇場の造りや、真っ暗になったり、目前で大声で話されたりするのも、演劇の全てがおもしろくて…。気づいたら、演劇研究会のドアをノックしてました(笑)」。
「そこから無我夢中で、いきなり新入生公演で立候補して、脚本・演出・出演まですることに。見よう見まねで書いた作品の評判がよくて味をしめて(笑)。でも、その秋の文化祭では、オリジナル作を書こうとして行き詰まり、真逆の経験もしました」
「就活をする4年生の時、もうちょっと演劇に踏み込んでみたくなって、松尾スズキさんの演劇ゼミに 1 年間通ったんです。それで、外の世界にはもっと面白い人がたくさんいる、こりゃすごいと思って…。もう就職は考えられなくて、1年留年して『はえぎわ』を立ち上げました」。
「はえぎわ」の公演は、最初の頃は年に2~3本、外部での活動が増えた現在は数年に1本のペースとか。「『はえぎわ』は、クリエイターとして何の制約もない中、何を本当にしたいかを見つめ直せる大事な場所。イコール、一番難しいんですけどね」。
チョークで描く演出が斬新な『ガラパコスパコス~進化してんのかしてないのか~』や『○○トアル風景』も「はえぎわ」の公演から生まれた名作。認知症の老女が出てくる『ガラパコスパコス~進化してんのかしてないのか~』では、毎年初夏に高齢者や障がい者の施設を巡回する『世田谷パブリックシアター@ホーム公演』(2010年~、ノゾエ氏作・演出・出演)で受けた衝撃から発想した作品だといいます。
「生活の場に運ぶ劇は、必ずしも観客みんなが鑑賞に前向きじゃない。飽きないよう、約30分間にいろんな要素を盛り込み、4 人くらいで演じます。この公演で改めて、『演劇の力』を実感できて。観客のなかには認知症の方も多いですし、始まる時から寝ている方も…」
「でも始めていくうちに起きてくれて、たとえば『ふるさと』を歌うシーンで一緒に歌ったり、無表情だった人が笑顔になったり。そしたら、職員さんがこの表情はなかなか見れないからと、観ているみなさんの写真をたくさん撮り始めるんです。そういうことがめちゃめちゃ嬉しくて…。舞台上で感際まってセリフが言えなくなることが、15 年目の今でも起きますね」。
蜷川幸雄さんの遺志を継ぎ、2016 年には、なんと1600人の高齢者と舞台をつくるプロジェクトも成功させたノゾエさん。今後の活動も目が離せません。
「地方に滞在して創作したこともあって、そこでしかつくれないものができるなぁと実感しました。そういうのはすごく楽しい。そして、いつか生まれ故郷でもある岡山に滞在して、創作できたらいいなと思っています。『ハレノワ』では劇場と地域がつながる活動をされているので、僕も混ぜてもらえたらうれしいです」。
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