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子どもたちに夢を!

《第1回》 私が岡山へ来た理由。

ファジアーノ岡山・北川真也社長の 子どもたちに夢を!

  • 情報掲載日:2019.10.28
  • ※最新の情報とは異なる場合があります。ご了承ください。
ファジアーノ岡山・北川真也社長

はじめまして! 私が社長の北川です

はじめまして、『株式会社ファジアーノ岡山スポーツクラブ』の社長を務める、北川真也と申します。

私は三重県で生まれ東京で育ちました。大学卒業後は政策の評価・検証などを中心に行う政治系シンクタンクで働き、30歳を機に『ファジアーノ岡山』に入社して、11年目をむかえています。

ファジアーノ岡山との出合い

『ファジアーノ岡山』を知るきっかけになったのは、人との縁によるものでした。その人とは、私が20代の時に大変お世話になった池上三六さんです。

当時お世話になった池上さんが、その後『ファジアーノ岡山』の強化責任者に就いたことを聞き、このとき地域リーグを戦っていたファジアーノについて調べはじめました。

その中で前代表の木村さんのことを知り、こんな面白い人たちがいる組織で、同じ目標を持って働きたいという気持ちが強くなり、人に惹かれて『ファジアーノ岡山』に入社しました。

ちょうど北京オリンピックが行われていた折、日本を代表して戦う選手たちを国民がひとつになって、応援するエネルギーの大きさに、スポーツが持つ可能性を感じたこともきっかけのひとつです。

教えてくれよ! 私と岡山の奇妙な縁

入社してから数カ月後、実家へ立ち寄ったときのことでした。母親から「実は私、小学校、中学校は岡山だったの」と伝えられました。

その時は内心、「岡山へ行く前に教えてくれよ!」と思いましたが、母親が育ったこの岡山で働けていることに何かの縁を感じますし、母親が育ったこの岡山を盛り上げる一助として働くことができることは、私にとって必然なのではないかと感じています。

仕事で興奮しアドレナリンが出ることは前職でもありましたが、感動し、涙を流せる仕事はスポーツならではかもしれません。2008年末にJ2リーグ昇格を果たした経験は、忘れられない出来事です。スポーツによって生活が豊かになった一人が私です。

普段、裏方として働くクラブスタッフの仕事は99%が大変な作業です。しかし残り1%の「あの興奮と感動」が、私の仕事の原動力です。あの時の興奮と感動、そして応援してくださった皆さまの喜ぶ顔が忘れられず、あの状況をまた県民の皆様と共有したい!
今はその一心で仕事をしています。

この街にプロサッカークラブがある意義

『ファジアーノ岡山』は「子どもたちに夢を!」という理念を掲げ、スポーツを軸にここ岡山で活動をしています。ファジアーノに関わるすべての人たちが岡山の子どもたちに夢を提供できる環境をつくっていきたい、そんなことを真剣に考えています。

もしかすると、これを読まれている皆さまにとって、スポーツやサッカーが無くなったとしても生活は変わらないかもしれません。

しかしスポーツをする、サッカーを観る、スポーツやサッカーに触れることによって、みなさまの生活が少しでも豊かになるものと信じて、私たちはこの活動をしています。

「サッカースクールに通うことになった息子を応援する楽しみができた!」「スポーツをすることによって持病がよくなった!」「おらが街のプロのサッカーチームを応援することで週末の家族の会話が増えた!」そんな環境の実現を目指しています。

社長に就任し、1年半が過ぎました。100年後も『ファジアーノ岡山』が県民の皆さまに愛されているクラブとなれるよう精進し、100年後の子どもたちに繋げられるようしっかりとしたクラブの土台をつくってまいります。これからこのコラムを通じて、ファジアーノ岡山の一端を紹介させていただきたいと考えています。

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