岡山市出身で、パリを拠点に活躍されていた洋画家・赤木曠児郎先生。
エッセイ「Bon souvenir ~パリで紡いだ思い出」を『オセラ』にご寄稿いただいておりましたが、去る2021年2月15日に、ご逝去なさいました。
このコーナーでは、赤木先生を偲び、本誌で掲載されたエッセイを1編ずつ紹介していきます。ご功績を振り返り、在りし日のお姿に思いをはせてみませんか。
※掲載文章は連載当時のものです
《第5回》船旅
横浜からマルセイユに向かうフランス客船定期便の、2等船客になったわたくしたちは、まるで別世界の人間になったような30日間を過ごした。
60年昔の東京の暮らしは、2間の間借り、共同台所に便所。マンションなんてまだ少なくて襖越しが普通。外国料理と言えばカレーかラーメンがご馳走だった。
だから、個室に決められたボーイが付き、食堂のテーブルで朝昼晩3食を、同じボーイのサービスでワイン付きでいただくのは、大変なフランス生活の勉強になった。
専用下男(現代ではお手伝いと言わなければならないのだろうが)がいる生活だったので、終着のマルセイユ港に着く頃には、もっと長く船にいたいなと願ったものだ。
上陸してからも一週間はマルセイユにいて、それから汽車でパリに向かった。
以来、船旅の思い出は夢で、ずっと後になって、日本郵船パリ支店長と友だちになり、「日本郵船がアメリカに新会社を設立して、クルーズ船の運営を始めているのでいかがですか」との勧誘があったときにもすぐ乗った。
ノルウェーのフィヨルドコース、シドニーから出港して南太平洋横断、マゼラン海峡からホーン岬、喜望峰からインド、パナマ運河通過、黒海めぐり…。
家内が亡くなる2年前の最後の旅は、南米の太平洋海岸インカをめぐる旅だった。
最近はクルーズ旅行も手軽になってきているが、最初はものすごい緊張だった。しかし家内の「クルーズ船旅行は、女の天国です」という名言のもと、次第にやみつきになった。
着るものなどをサッサと荷物に納め、飛行機で船が着岸している港に行き、十数日のワンコースを乗船して過ごし、上陸してまた帰って来る。
私たちの原則は、少なくとも2回の日曜は船上で過ごすこと。
2週間から3週間のコースを選んで乗るのである。3日や4日では乗ってすぐ降りるような具合で、乗らないほうがよいくらいのものだし、さすがに3週間めの日曜も船上でとなると、そろそろ上陸したくなる。
長旅コースだと満員になることもなくゆったりとしている。
船上ではいろいろな催しが用意されているが、ほとんど参加しない。ボーイにかしずかれて食事をして、グーグー寝て、ディナーの後キャバレーの芸人のレビューショーを見るくらい。
日の出と日没、海を眺めて見て、数日おきに着く港町を観光。何もせずすべて終わるのが、気に入ってしまったのである。
乗船時と下船時には、それぞれの港にクルーズ会社の事務所が作られていて、客の世話をしてくれる。
土地の超一級ホテルを取って観光、滞在の便もみてくれる。高いようでもこれも利用すべきだ。船から上がって飛行場に駆けつけてすぐ帰ったのでは、余韻も思い出もない。
どこにそんな余裕があるのか?
その秘密は、市中暮しなので必要がない車を持たないこと。持てば年間100万円くらいは償却維持費用込みで使うから、その予算をあてたのだった。
『バンドーム広場6番地にて』
(素描原画/47.5×38.5cm)2019年
パリに観光に訪れて、ガルニエ・オペラ広場に立たない人はないだろう。正面石段から眺めて、右手斜め遠くに青銅色の高い塔が見えるのがこのバンドーム広場である。ルイ14世が命令して作らせた広場だから、オペラ座より200年近くも古い。現在では高級宝飾店や時計店がこの広場を貫く通りに軒を並べ、ここに店を持っていると一級品の格式に思われる。日本では養殖真珠のミキモトとコム・デ・ギャルソンが、広場に店を出している。6番地の建物の2階の窓から、紹介してくれる人があって描いた。左向かいはリッツホテル、ダイアナ元皇太子妃も最期に泊まっていた有名ホテルである。
赤木 曠児郎(あかぎこうじろう)
洋画家。1934年、岡山市下田町(現・岡山市北区田町)生まれ。
第2次大戦後、岡山市東区西大寺で暮らす。岡山大学理学部物理学科を卒業して東京へ。
その後フランスに渡り、現在はパリ在住。ボザール(パリ国立高等美術学校)で絵を学び、油彩、水彩、リトグラフによるパリの風景を描き続ける。輪郭線を朱色で彩った独特の画法が特徴で、「アカギの赤い絵」として名高い。
40年以上描き続けたパリの街は、芸術作品としてはもちろん、貴重な歴史的資料としても評価されている。
ル・サロン展油絵金賞を受賞し、終身無鑑査。そのほか、フランス大統領賞、フランス学士院絵画賞なども受賞。
またファッション記者としても活躍し、プレタポルテを日本に初めて紹介。ジバンシイやバレンシャガなどの多数のブランドが初めて日本の百貨店に出店する際にも橋渡し役として活躍したことでも知られる。
2021年2月永眠。
オセラNo.100(2019年6月25日発売)掲載より
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