岡山メルパ 福武 孝之館長
映画業界20年、老舗映画館を切り盛りする名物館長。映画が持つ「観ることで、自分の世界が広がる」魅力を広めるべく、多彩なイベントを展開。ジャンルや制作者にこだわらない、テキトーな鑑賞が映画愛を高める秘けつだとか。
ドラゴン危機一髪(1971年)
伝説のアクションスター、ブルース・リーが香港凱旋後にゴールデン・ハーベスト社と契約し主演した1作目で、アジア各国や中東で大ヒットを記録したカンフーアクション。
ブルース・リーの香港凱旋主演第1作目にして、アジア各国や中東などで大ヒットを記録、世界的な香港製カンフー映画ブームの火付け役となった作品。日本では『燃えよドラゴン』公開後、74年に劇場初公開され、ドラゴン・シリーズ第2作とよく間違えられているが、実は本作がドラゴン・シリーズの記念すべき第1作。
「アチョー!」「シュワッチ!」「トーッ!」3大かけ声ヒーローの一角をなす(笑)
<公開情報>
ドラゴン怒りの鉄拳(1972年)
アジア各国で『ドラゴン危機一発』の記録をすべて塗り替える大ヒットを記録、実在した伝説の武道家、霍元甲の弟子を主人公にした熱血英雄談。
前作『ドラゴン危機一発』の大ヒットを受け製作された、ブルース・リー主演の第2作。
リーが演じた主人公・チェンは、本作で生み出された架空の人物であるが、中国人への侮蔑の意味を含む看板を次々と破壊することから、中華圏ではよく親しまれる定番キャラクターとなり、後にブルース・リャン(中国語版)、ジェット・リー、ドニー・イェンなど、多くのカンフー・スターがこの役を演じていて、その後映画やテレビで何度もリメイクされることになっている。
ヌンチャクを駆使したアクション・シーンと時代背景を活かした痛烈なエンディングが印象的。N・ミヤオとのラブ・シーンも話題になった。
<公開情報>
ドラゴンへの道(1972年)
ブルース・リーが監督、主演、脚本、製作、音楽監修、武術指導の6役をこなした入魂の1本。イタリア・ロケも話題となり香港では彼の主演作史上最大のヒットとなった。クライマックスのリー対チャック・ノリスの激闘は、今も映画史上最高の格闘技アクションとして語り草となっている。
伝説のアクションスター、ブルース・リーの初監督作で、リー自ら全てを作りあげたといってもよいカンフーアクション作品。コロシアムでのチャック・ノリスとの激闘シーンで、ブルース・リーの軽快なステップは当時大ブームとなり、映画史に残る格闘技アクションの名シーンとして語り継がれている。2大スターの対決、本物の格闘家の対決、他に誰もいない2人だけのシンプルな対決シーンは、今ではもう作ることはできないのではないか!?
<公開情報>
死亡遊戯(1978年)
ブルース・リーの遺作となったカンフーアクション。リーの監督・主演で1972年に撮影開始されたが、ハリウッドとの合作『燃えよドラゴン』撮影のために中断され、リーの急死により未完となった。その後、『燃えよドラゴン』のロバート・クローズ監督らによって追加撮影が行われ、1978年に公開された。
本作はその名も『死亡遊戯』と名付けられ、リーの遺作として公開された。1972年初夏、ブルース・リー監督、主演、西本正の撮影が始まっていた『死亡遊戯』は、念願のハリウッドとの合作『燃えよドラゴン』の撮影のために一時中断され、『燃えよドラゴン』の完成直後のリーの急死によって未完となってしまう。それから5年、新たに撮り足したシーンと、リーの他のフィルムとを合わせて編集し遂に幻の遺作は完成した。クライマックスのダン・イノサントやカーリム・アブドゥル=ジャバールとの次々に死闘を繰り広げ、塔を登っていくシーンはブルース・リーがたどり着いたアクション哲学の到達点であり、その後の幾多の格闘漫画などに多大な影響を与えている。また、リーが劇中で着ていた黄色のトラックスーツは、あまりにもカッコ良過ぎて、当時、真似することを許されなかった記憶がある。
彼が伝説を作ったのか? 伝説が彼を生み出したのか?
伝説のアクションスターの最後は、作られた映画より後世に伝えられることは確かだ。