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《倉敷で100年、歩み続ける老舗vol.2》日本遺産のストーリーと繊維のまちの老舗。

倉敷で100年、歩み続ける老舗vol.2

  • 情報掲載日:2021.02.10
  • ※最新の情報とは異なる場合があります。ご了承ください。

豊かな土壌や資源、すぐれた伝統文化を有する倉敷市。かつて江戸幕府の天領として繁栄してきたこの地には、世界に誇る地場産業が今も大切に受け継がれています。

暖簾を守り、伝統を受け継ぎながら、時代のニーズにも果敢に挑み続ける倉敷の老舗を、3回にわたってご紹介します。

第2回目となる今回のテーマは「繊維のまちの老舗」。

世界に誇る倉敷の繊維産業は、長い年月をかけて培われた技術とたゆまぬ努力によって紡がれてきました。この産業を支えてきた老舗を、日本遺産のストーリー「一輪の綿花から始まる倉敷物語~和と洋が織りなす繊維のまち~」とともにご紹介します。

綿花・イ草栽培から始まった繊維産業発展の軌跡。

2017年に文化庁から日本遺産に認定された「一輪の綿花から始まる倉敷物語~和と洋が織りなす繊維のまち~」。

地域の発展と日本の近代化に大きく貢献した倉敷の繊維産業発展のストーリーは、大規模な新田開発が始まった江戸時代にまでさかのぼる。

約400年前まで「吉備の穴海」と呼ばれる広大な浅海だった倉敷の平野部。干拓により陸地となると、塩分を含む新田でも育つ綿花やイ草が盛んに栽培されるようになった。

香川県琴平町の金刀比羅宮との両参りで信仰を集めた倉敷市児島の「瑜伽大権現(ゆがだいごんげん/由加山)」の門前町では、その木綿で作られた真田紐や小倉織が土産物として評判を集め、児島を中心に織物業が発展。

倉敷は1642年に江戸幕府の直轄領である、いわゆる「天領」になると、政治の中心地になるとともに「備中綿」をはじめ備中南部の物資の中継地として栄え、繊維産業の礎が築かれていった。

明治時代に入り、1880年には国内初の民間紡績所である児島の『下村紡績』、その後、玉島の『玉島紡績』が創業。1888年には倉敷代官所跡に、イギリス式の最新の機械を備えた『倉敷紡績所(現クラボウ)』が創設され、倉敷の繊維産業は隆盛期を迎える。

1878年には、倉敷市茶屋町の磯崎眠亀(みんき)がイ草で最高級の花ござ「錦莞莚(きんかんえん)」を発明。花ござは国の輸出十品目にもなり、伝統産業として脈々と受け継がれていく。

※写真提供:クラボウ
倉敷に紡績工場を作りたいという3人の青年に賛同した実業家・大原孝四郎が、1888年に『倉敷紡績所』を創設。写真は2代目社長・大原孫三郎が撮影したという明治40年代の倉敷美観地区の風景
※写真提供:倉敷アイビースクエア
『クラボウ』創業時の本社工場跡を再生し、ホテルなどの複合文化施設に改修した『倉敷アイビースクエア』。同敷地内にある『倉紡記念館』では、『クラボウ』と倉敷の繊維産業の変遷を展示している

技術を集約し、足袋や学生服、国産ジーンズの製造に着手。

繊維産業の発展とともに育まれた紡績や撚糸、染織、縫製技術は、時代に伴いさまざまな衣料品の製造に応用された。

明治時代中期導入された動力ミシンにより、足袋の製造は全盛期を迎えたが、大正時代になると洋装化に伴い需要が減少。いっぽうで学生服の需要が急増し、足袋の裁断・縫製技術を生かして学生服が作られるようになった。昭和初期には全国の生産量の9割を児島産が占めたという。

倉敷市児島に本社を構える『日本被服株式会社』や『明石被服興業株式会社』は、当時から学生服製造の先駆けとして業界をけん引。技術やノウハウを更新しながら未来を見据えたものづくりに励む。

1865年創業の『明石被服興業株式会社』。1951年には学生服ブランド「富士ヨット」を商標登録し、当時の業界最大生産額に達する。本社1階にある展示場では、全国に納品する中学・高校約1500校のうち、約100校の制服を展示
最新設備が稼働するなか、今も熟練の職人が手作業で裁断を行ない、技術を継承している
業界初の丸洗いできる学生服を開発した『日本被服株式会社』。1863年に染物業として創業。1922年に学生服の生産を始め、「太陽櫻」のブランドで全国展開した
本社敷地内にある『児島学生服資料館』では学生服に関する貴重な資料を展示している

学生服生産の技術を生かし、1965年には児島で日本初の国産ジーンズが作られ、今では「国産ジーンズ発祥の地」として注目される。テキスタイルメーカー『株式会社ショーワ』が手がける高品質のデニム生地も、国内外のトップブランドから厚い信頼を寄せられている。

染織から仕上げまで一貫して行なう、全国でもまれなテキスタイルメーカー『株式会社ショーワ』。1905年に織物業として創業。風合いや肌触りを大切にした「着る人の心を豊かにする生地」をコンセプトに製造
2009年に世界最高峰の素材展「プルミエール・ビジョン」で、ウールデニムがハンドル賞を受賞。写真は、ウールデニムのジャケット。2017年には世界初のナイロンデニムの開発で特許を取得し、注目を集めている

世界に誇る「メイドイン倉敷」を作り続ける老舗の原動力。

干拓地での綿花・イ草栽培から始まり、真田紐や足袋、学生服、ジーンズと時代に合わせて発展してきた倉敷の繊維産業。日本製繊維製品のシェアが減少していくなか、独自の技術や一貫生産できる産地の強みを生かし、国内外の市場に挑み続けている。

1888年創業の『株式会社タケヤリ』は、世界でここでしか織れない高品質な厚手の帆布生地を生産。この地で受け継がれる高度な撚糸技術から生まれた帆布は、今も国内生産の約7割を倉敷産が占めている。

『株式会社タケヤリ』は、1888年に武鑓石五郎が機織の名手だった妻・梅と創業。1968年にベルギーから導入したセルヴィッチのシャトル機で、世界で唯一となる厚手の1~3号帆布を製造
2010年からは自社のファクトリーブランドを展開。写真は、パラフィン加工で強力な撥水性を備えた「撥水タイガー帆布」シリーズ。帆布本来の風合いも楽しめる

また、倉敷の繊維産業の躍進に貢献した足袋を手がける『株式会社丸五』は、作業用・祭り用だけでなく、日常遣いできる新しい足袋型シューズを販売。

真田紐の製造をはじまりとする『角南被服有限会社』は、学生服・作業服の製作で培った技術を研さんし続け、ジーンズの縫製会社として海外からも一目置かれる存在となった。

年間出荷額日本一(※)の「繊維のまち」は、伝統を大切に受け継ぎ、進化し続ける老舗の実直なものづくりと、ひたむきな努力で支えられている。

※「令和元年工業統計調査 繊維工業製造品出荷額」より

2018年に創業100年を迎えたジーンズ専門の縫製会社『角南被服有限会社』。他社が敬遠する厚手のデニム生地を縫うため、ミシンの独自改良や設備投資を積極的に行ない、生産性の向上と高品質の縫製を両立させた
大量生産から多品種少量化にシフト。すぐれた縫製技術はオランダのデニムブランド『DENHAM』をはじめ、海外からも高い評価を得ている。今では20社以上の一流ブランドと事業を提携
「足袋」で「旅」に行き、「リラ」ックスしてほしいとの思いから開発された『株式会社丸五』のコンフォートシューズ「たびりら」8800円~。国内外に向けて地下足袋の魅力を発信
倉敷の地場産業である足袋製造のリーディングカンパニー『株式会社丸五』。1919年の創立以来、作業用の地下足袋や安全靴を中心に製造。日常遣いできるコンフォートシューズ、機能性とデザインを追求した祭り用の地下足袋やランニングシューズなども人気

今回ご紹介した各企業のデータや詳細は以下をチェック!

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